その名が示すように、高野山金剛峰寺の別院である。 桂坂を登りきると左側に高輪署があり、信号を左折すると東京別院の山門前に出る。山門の左側に御符内八十八箇所と彫られた石柱と第壱番と彫られた石柱があった。折から法要が行われていて、境内の拡声装置から読経の声が流れていた。 本堂脇に、目を凝らさなければ判読できないが、「四国八十八ヶ所第一番」「宝暦六年」「下総国諦信」と読める石碑がある。「下総国諦信」とは、江戸に四国八十八個所を写した人物である。十返舎一九が、「東都大師巡八十八箇所」の中で、「むかし宝暦の頃下総の国松戸宿の諦信親子発願して東武に八十八箇所の霊場をうつす」と、書いている。谷中にある第42番観音寺には、この間の事情を明瞭に刻んだ標石があるというので、今から楽しみにしている。 山門を入った右側に四国八十八箇所、それぞれの本尊を模った「御影」の石仏がある。先のとがった舟形をしており、四国お遍路の道すがら、主に讃岐路で見た丁石に似ている。その中で、一つだけ船形ではなくて横に長い方形に刻まれた御影があった。阿波の国、第9番法輪寺である。涅槃の釈迦如来像を模っているのだ。涅槃とは、釈迦が亡くなる前に、沙羅双樹の下で、最後の説法を終えて横になった姿である。四国八十八か所、全ての霊場で本尊の「御影」を頂くことができるが、涅槃の釈迦如来が描かれているのは法輪寺だけであり、図柄としては珍しい御影である。 四国八十八箇所では、全ての霊場で本尊の御影を頂くことができる。私は順序良く並べて貼り付け、専用の額縁を誂えて居間に揚げている。 本堂の左手に寺務所があり、「江戸御府内八十八箇所めぐり」のガイドブックを買い求めた。一緒に納経帳も買ったのだが、このあとに巡った寺院で、ご朱印を頂戴することはなかった。四国の札所と同じように納経所があって、気軽にご朱印が頂けるものと思っていたが、間違いだった。多くの寺院は、一般の参拝者には窓口を開いていない。 高野山東京別院は高台にあり、江戸の昔は眼下には街道を行き来する旅人の姿や、その先には品川沖に碇泊する船の賑わいがあったであろう。今は林立するビルに眺望を阻まれ、昔を偲ぶすべもない。
まだ読経が続いている。負けじと般若心経を唱え、高野山東京別院を後にした。
(2011年7月1日 記)
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