第68番永代寺(えいたいじ)

     山号 大栄山(だいえいざん)
     住所 江東区富岡1-15-1
     参詣 2011年11月21日
 
仏塔のある永代寺

 永代寺は深川不動尊の仲見世通りにある。下町の庶民的な空間として賑わい、親しみが湧く商店街が続いている。
 縁起から要約する。1627年(寛永4年)に創建された富岡八幡宮を管理する別当の遍照院として建立されたもので、後に永代寺と改められたとのこと。江戸時代には、本坊の他に11の塔頭を持つ大寺院で、現在の富岡八幡宮から深川不動堂、深川公園を含む一帯が境内であった。門前仲町の地名は、この永代寺の門前ということで名付けられたものである。
 永代寺の開祖は、菅原道真の末裔とされる長盛法印が、夢のお告げにより八幡大菩薩を携え江戸に下り、永代島と呼ばれた砂州で出来た小島を開拓し、町筋を整え遍照院を創建したことが始まりである、と伝承されている。
 現在、永代橋を渡った右側に永代1丁目、2丁目の町並みが続き、永代の地名は残っているが、周辺を探しても永代島の地名は見当たらない。永代から大横川を隔てた対岸には越中島の地名が残っている。江戸名所図会を読むと、永代島は富岡八幡社地、門前四ヶ町の地を称す。元来、小名木川以南の埋立て以前に、海川の作用により生じた島の名。と注釈されている。「島」というより、海中の干潟であったのだろう。
 徳川家康が入府して以来、幕府は江戸湾の干拓と埋め立てを進めている。埋め立てには、急増する人口を吸収する新開地の建設が必要であったことと、拡大する都市の経済活動から発生する塵芥の処理に迫られたという背景があったからだ。現在に至るまで、東京湾は塵芥処理場として利用され、土地造成が続いている。幕府による江戸湾の埋め立ては大規模に進められている。項を改めて、その歴史を振り返ってみたい。
 永代寺の建物には特長がある。本堂の上に仏塔があるので、直ぐに分る。どのような経緯から今のような容になったのか興味が湧き、調べてみたのだが分らない。般若心経を唱えていたら、近所に住む主婦だろうか、線香を供えて立ち去っていった。庶民に愛されている寺院なのだな、と思った。
 直ぐ傍に富岡八幡宮がある。立ち寄った。敷地内には江戸時代の測量家である伊能忠敬の像がある。伊能忠敬は深川に居を構え、測量に出かける前には、安全祈願のために必ず参拝したという。
 空腹を覚えたので、近くのコンビニでアンパンと牛乳を買って、再び八幡宮の境内に戻りベンチに座って昼食を取った。秋も深まってきたが、日差しは暖かい。 (2011年12月28日 記)

 
 


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