第10番聖輪寺(しょうりんじ)

      山号 観谷山(かんこくさん)
      住所 渋谷区千駄ヶ谷1-13
      参詣 2011年10月20日
 
庚申塔

 外苑西通りを南に向って歩き、観音橋交差点を右折すると右手に聖輪寺がある。「千駄ヶ谷観音」の別称で呼ばれることがあり、江戸名所図会の「千駄ヶ谷観音堂」の項には次のように記されている。
 「往古慶長三年の春、盗賊来り、この本尊の御双眼は精金なりと聞伝へ、鑿りとりて去らんとせしが、冥罰によりけん、自ら持てる刃に貫かれて死せり。この地の高橋氏某、目の当たりこれをみて驚嘆し、堂宇を再興す。この故に里民目玉の観音と字したてまつるよし、本尊縁起にみゆ。・・・一部略・・・江戸寺院の中、千有余歳を暦たるものは、浅草寺と当寺なりといへり」。
 浅草寺の創建は推古36年(628)で、聖輪寺は百年後の神亀3年(726)とある。本堂はコンクリート造りで堅牢な構造である。一礼して般若心経を唱える。
 本堂の左側の目立たない場所に、2基の庚申塔があった。渋谷区教育委員会の説明書きでは、何処に立てられていたのかは不明、とあるが、延宝5年(1677)と元禄3年(1690)の銘が見える。
 お寺の境内に庚申様が祀られているケースは珍しいのだが、四国88箇所を廻った折、香川県の第78番札所郷照寺の境内に庚申堂があった。庚申堂に向って般若心経を唱えた自分が滑稽に思えた記憶がある。道教の庚申様に般若心経が伝わるわけはない。
 庚申信仰は中国より伝来した道教に由来するものであるという。60日毎に訪れる庚申(かのえさる)の日には謹慎して、一夜を明かすという風習があって、庚申塔、あるいは庚申塚に、その庚申信仰の面影を残している。
 庚申塔の建立が行われるようになったのは江戸時代初期の頃からだといわれ、全国的な分布が確認されている。地域に差はあるが、相模の国を中心とした地域では数多くの庚申塔が建立されている。今では、街道の拡張、付け替え工事などで庚申塔の殆んどが撤去されたり、元の場所から移され、目に付きにくい場所に集められている。
 庚申信仰の広がりの中で、庚申講という風習があった。人間の体内にいる「三戸(さんし)」という虫が、寝ている間に体内から抜け出して、天帝にその人間の悪事を報告に行くというのだ。これを防ぐため、庚申の日には庚申堂に集まって、三戸の虫が出て行かないように、夜通し語りあい、宴会などをする風習である。
 我が体内に巣食う三戸(さんし)の虫は、未だ煩悩から逃れられないこの軟弱者の正体を、何と言って天帝に報告しているんだろう。(2011年11月3日 記)                            
 


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