第41番密蔵院(みつぞういん)

      山号 十善山(じょうぜんさん)
      住所 中野区沼袋2-33-4
      参詣 2012年7月2日
 

密蔵院の山門
   禅定院から裏通りを歩き、坂を上って明治寺の裏門を入る。鬱蒼と茂った樹木の下を抜けて、密蔵院の門前に出た。明治寺の境内には百観音が祀られていて、名の知れた寺院である。この日は、先を急ぐので、お参りするのは次の機会にした。
 密蔵院は、他人に知らせず、ひっそりと建っている。そんな感じのする寺院だった。境内は樹木に覆われ、薄暗く、静寂が漂っている。山門は寺院では珍しい屋根のない冠木門である。それまで本堂の前を掃き清めていた女性が、奥に引っ込んで行った。奥様なのかもしれない。本堂の扉は開け放たれていた。ほの暗い須弥壇のご本尊様に手を合わせる。私が般若心経を唱え終えると、先ほどの女性が現れた。姿を消したのは、お詣りの邪魔をしない様にと云う、配慮だったのかもしれない。
 東京お遍路、ここまで歩いてきて、間近に御本尊様と対峙できたのは、密蔵院が初めてかもしれない。静けさの中で瞑想していると、山のように積み重なった罪業が洗い流されるような気がする。ん…? そりゃ無理だ。煩悩があるから人間で居られる。煩悩が無くなったら仏様ではないか。
 縁起によると、もともとは北条氏直の念仏寺で、小田原城内に創建されたものらしい。慶長16年(1611)に慶誉法印が、本尊の勝軍地蔵を捧持して江戸に移り、矢ノ倉(今の東日本橋一丁目付近)に寺地を拝領し寺を建立したとのこと。さらに正保元年(1644)浅草の新寺町(今の元浅草)に移転したとある。震災や戦災により焼失の苦難を経て、昭和25年(1950)、現在地に本堂を建立したとのことだ。
 密蔵院は、湯島にある第32番圓満寺と同様に、真言宗御室派の寺院である。都内で御室派の寺院は珍しいそうだ。言うまでもないことだが、真言宗の始祖は空海、弘法大師である。ところが、真言宗には分派が多くて複雑だ。13世紀末に古義真言宗と新義真言宗に分かれ、そこから多種多様な教義が展開されたと云う歴史がある。同じ真言宗でも、宗派によって祀りや勤めの作法が違うらしいから、ややこしい。
 密蔵院の御室派は、空海の流れを汲む直系の古義真言宗に属する流派だ。他には、高野派、東寺派、善通寺派、醍醐派、山階派、泉湧寺派、大覚寺派などがある。一方、覚鑁(かくばん)上人が始祖である新義真言宗では、豊山派や智山派などがある。
 密蔵院は、もう一度訪れたい寺院である。そんな気持ちにしてくれる雰囲気がある。(2012年8月15日 記)
   
            
 
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