第67番真福寺(しんぷくじ)

     総本山智積院別院
     住所 港区愛宕1-3-8
     参詣 2011年6月15日
 
階段を上がった正面が真福寺の本堂
 

 驚いた。真福寺はマンション寺院なんてものじゃない。立派な近代的オフィスビルである。左側の八階建て部分の二階に本堂があり一階が寺務所になっていて、右側の16階建て部分が賃貸オフィス「愛宕東洋ビル」で天辺に「摩尼珠山」と看板が上がっている。本堂は荘厳で、金色の薬師瑠璃光如来が祀られている。現在は真言宗智山派の総本山智積院の東京別院となっている。
 真福寺は愛宕山の麓にある。江戸時代は「愛宕下のお薬師さん」として、庶民に親しまれていた。縁起によると、慶長10年(1605年)徳川家康より1360坪の土地を賜り、開創されたという。江戸名所図会に愛宕下真福寺、薬師堂の絵図があり、門前の賑わいまで描かれている。今の佇まいからは想像できない。
正午は過ぎていたが、時間には余裕があるので、愛宕山に登ることにした。江戸名所図会の「愛宕山権現社」について書かれた部分に、次のような記述がある。
 「そもそも、当山は懸岸壁立して空を凌ぎ、六十八級の石階は、畳々として雲を挿むが如く聳然たり。山頂は松柏鬱茂し、夏日といへどもここに登れば、涼風凛々としてさながら炎暑をわする。見落せば三条九はくの万戸千門は甍をつらねて所せく、海水はべう焉とひらけて千里の風光を貯え、尤も美景の地なり。」(一部、変換できない文字はひらがなで表記している)、つまり、江戸庶民にとっては、飛びきりの観光スポットであったわけだ。
 愛宕山は標高が26mである。山の手線内では最高峰であると紹介されることが多いが、新宿区の戸山公園にある箱根山が45mで、こちらが最高峰になる。ただ、箱根山は、江戸時代に尾張藩徳川家の下屋敷として、回遊式庭園「戸山山荘」を整備したときに池を掘った残土を積み上げ、人工的に造成したものである。愛宕山は自然形成によって成立した地形であって、江戸市中の何処からでも眺めることが出来た最高峰であったろう。江戸市民にとって、憩いの場所であったことがわかる。
 山上にある愛宕神社は、1603年、これから建設されていく江戸の防火の願いを込めて、徳川家康の命をうけ祀られた神社である。そのため「天下取りの神」、あるいは「勝利の神」として武士たちの信仰を集め、各藩の武士たちが地元へ祭神の分霊を持ち帰り、全国各地に愛宕神社が広まっていった。
 ただ、愛宕神社の総本社は京都市右京区にあり、大宝年間(701年〜704年)に修験道の場所として創建されたといわれ、古くから防火に霊験のある神社としての歴史がある。従って、江戸の武士達が全国各地に愛宕神社を分社していくよりも、ずっと古い時代、奈良時代の初期に遡り、修行の場所として、その全国伝播は始まっていたのである。これは研究の余地有りだ。  (2011年7月28日 記)

 


第13番 龍生院←                     →第20番 鏡照院

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その1端書きへ


烏森同人のtop頁へ