第4番高福院(こうふくいん)

      山号 永峯山(ながみねさん)
      住所 品川区上大崎2-13-3
      参詣 2011年10月20日
 
六地蔵のお堂

 高福院は目黒駅から僅かな距離で、東京都庭園美術館の手前にある。所在地は、目黒区ではない、品川区上大崎二丁目である。どうでも良いことだが、山手線目黒駅は品川区にあって品川駅は港区にある。
 目黒通りから僅か2、30mも入っていないのに、境内は静寂である。本堂は江戸期の建立で、老中水野忠邦から拝領したものであるといい、歴史の重みが感じられる佇まいである。静謐な空間に身を置き、般若心経を唱えると、なぜか涙がこぼれる。こんな心境になったことは何度かある。四国を歩いたときには、涙が止まらなくなって、般若心経を唱える口調が歪んでしまったこともある。
 境内に六地蔵のお堂があった。地蔵菩薩の像を6体並べて祀られた六地蔵は、各地で見かける。これは、仏教の教えである六道輪廻の思想に云う六つの迷いを、6体の地蔵によって救われるという説から生まれたものである。
 その六道とは、天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道である。六地蔵に救いを求めることによって、それぞれの世界に住む苦しみから救われる、と言うことのようだ。人間道の苦しみは、四苦八苦と解釈すればいいのかもしれないが、ここんところは難しすぎて分らない。この輪廻から外れたものを、俗に外道(げどう)といい、時々耳にする言葉である。
 高福院は、江戸時代には、目黒行人坂上の寺院として知られていたようだ。近くには大円寺がある。新編武蔵風土記稿によると、行人坂の事を、「村の東北の堺に有り、寛永の頃此処に湯殿山行人派の寺ありて大日如来を建立す、依ってこの名あり、今坂の中ほどに大圓寺と云天台行人派の寺あり、是その名残るべし、」と、書かれている。ここに言う村とは、下目黒村のことである。
 明和9年(1772)、この大円寺から出火し、強風に煽られ白金から、神田、湯島、浅草まで類焼したという大火があった。これを行人坂火事(明和の大火)と呼び、明暦3年(1657)の大火、振袖火事。文化3年(1806)の大火、車町火事と並んで、江戸三大火事に数えられている。大円寺は以後76年もの間、再建が許されなかったと言う。 (2011年11月19日 記)
 
 


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