第25番長楽寺(ちょうらくじ)

      山号 六所山(ろくしょさん)
      住所 日野市程久保8-49-1
      参詣 2012年9月27日
          
 

長楽寺と彫られた大きな石柱碑
 
 長楽寺は、多摩動物公園正門の手前にある。もともとは、今の西新宿、初台にあったのだが、東京大空襲(昭和20年・1945)の戦災で堂宇を焼失し、戦後の復興とともに、昭和34年(1959)に多摩丘陵の一角に移転してきたとのことだ。多摩動物園が開園した翌年のことになる。
 丘陵の斜面を切り開いて建てられた寺院で、登坂がきつい。坂の途中に、「ここらでちょっとひと休み」と刻まれた石柱があって、切り株を模した椅子が設えられていた。長い距離を歩いてきて、少々ばて気味だったので、お言葉に甘えて座らせてもらった。
 縁起について『新編武蔵風土記稿』は次のように記している。「新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、六所山長命院と号す、當寺も多聞院(註:前出の第3番多聞院)と同く與兵衛の開基する所なり、開山頼音、慶安三年十二月二十九日寂、本尊不動を置、寺傳に當山を六所と号せるは、昔厳有院殿(註:四代将軍家綱)府中六所へ御参の時、たま々々當寺へ成らせ給ひしより名付し由いへと、いと牽強の説と思はる、・・・以下略・・・」
 四代将軍家綱が御参したという府中六所とは、大国魂神社のことである。武蔵の国の総社で、六つの神社を合祀したことから、「総社六所宮」あるいは「府中六所宮」と呼ばれていた。新編武蔵風土記稿の、「山号を名付けた経緯が強引と思われる」と書いた人物に、何となく親しみがわく。続けて、「元より據とすへきものなれど、」と断りながら、将軍から賜った御筆だという横物の掛け軸があって、寺宝になっていると紹介し、その文書の中に六所愛宕社の文字があることから、これが根拠ではないのかと暗に述べている。勿論信頼のおける資料ではないから、面白い記述があるなぁ、と楽しんでおく。
 本堂にお参りするのは、寺務所にお断りしなければならないようだ。寺務所の先に鉄柵があって、本堂への入り口は閉ざされている。あいにく寺務所には人影が見えず、駐車場の方から本堂に行けるのではと考えて、階段を上がったり坂道を下ったりしてみたが、駐車場の入り口も鉄柵で固く閉ざされている。車は一台も駐車していないし、人影は全くない。長楽寺と彫られた大きな石柱碑の脇にある看板には、休日は月曜日と書いてあるが、今日は月曜日でもないし、時間も真昼間なのだが・・・。結局は、本堂にお参りするのは諦めた。
 長楽寺から我が家は近い。疲れた足を労わりながら、あと一息の道程を歩く。(2012年10月12日 記)
                
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