第63番観知院(かんちいん) 山号 初音山(はつねさん) 住所 台東区谷中5-2-4 参詣 2012年2月27日 |
建物は一つ、屋根が別になった「大師堂」と「明王堂」
|
長久院を出て、もと来た道を戻ると信号のある丁字路に出る。地図で確認したら、信号を渡って左に進んだところに観知院がある。が、そこには台東初音幼稚園があって、折から園児の帰る時間帯に当たったので、お迎えの母親達の自転車でごった返していた。よく確かめるもせず、幼稚園の裏手に観智院があるのだろうと思い、一旦後戻りして細い路地に入ってみた。けれども、それらしいお寺は見つからない。
元の場所に戻って来たら、何のことはない、退け際の園児たちが遊んでいる庭の向うに、木造二階建ての観智院本堂があった。母親達はグループを作って、お喋りに余念がない。山門は無い。歩道との間を仕切るための移動式防御柵があるだけだ。幼稚園の庭が境内だったのだ。お寺を探しているのに、幼稚園の賑やかな風景に出くわしたら、そこがお寺だなんて思わない。 縁起によると、慶長16年(1611)に神田北寺町に創建されて、慶安元年(1648)に、今の池之端4丁目、都立上野高校脇にある清水坂に移転し、さらに元禄年間(1688〜1704)に現在地に移って来たという。本堂は、「高床式寄棟造」という建築様式だそうだ。 境内、と云っても幼稚園の庭だが、左手に五大明王堂と大師堂がある。建物は一つでも屋根が別になっている変った造りのお堂だ。明王堂は、江戸時代から「火除けの神様」として信仰を集め、いまでも「谷中の火避け不動」と呼ばれている。お堂の前にも母親達のお迎え自転車が並んでいたけど、珍しい建物なので写真に収めてきた。 観智院の山号は「初音山」という。併設する幼稚園は「初音幼稚園」だ。谷中を歩いていると、あちこちで 「谷中初音町」という古い住居表示を目にする。昭和42年(1967)に住居表示が谷中に変更されて、谷中初音町は消滅した。鶯の初音にちなんで付けられた地名だという。そう云えば、近くにJRの鶯谷駅があり、過去には、さほど遠くない所に小石川初音町があった。事務的な利便性だけを考えて付された地名は、その土地に古くから伝わる優雅な趣を消してしまった。 退園する子供達の元気な声に圧倒され、般若心経を唱える声はかき消されてしまう。集中が出来ない。もう一度、休日に来ることにしよう。明王堂、大師堂にもお参りして、観智院を後にした。 (2012年3月25日 記) |
|
|