百観音巡礼と明治寺

      山号 新浮侘落山(しんふだらくさん)
      住所 中野区沼袋2-28-20
      参詣 2012年7月12日

 
多宝塔
 
 
ちょっと寄り道します。
 東京お遍路、第48番禅定寺を出て、第41番密蔵院に向かう途中で、百観音明治寺の境内を抜ける。明治45年(1912)、明治天皇が病に伏し、病気平癒を祈願して観音霊場を造営したのが、この明治寺の始まりであると伝えられている。
 山門を潜ると緑に覆われて、比較的新しい多宝塔がある。色々な形の仏塔があるが、要はストゥーパであり、お釈迦様の遺骨を納めた舎利塔である。五重塔もそうだ。明治寺の多宝塔は都会の墓地不足による納骨堂として運営されている。仏舎利と共に祀られるお墓である。
 鬱蒼と茂った樹木の下に百観音像が立ち並んでいる。その数は、番外の観音像を含めて180体以上にもなっているそうだ。明治寺にお参りすると、一気に百観音巡礼が出来ると云うことになる。一見無秩序に置かれているようにも見える仏像だが、自らの場所を弁えているかのように配列されていた。仏像は観音菩薩様だけでなく、憤怒の表情で愛染明王を思わせる像もあった。
 
仏像には様々な表情が刻まれている。それは、一様ではないが、柔和な微笑みを浮かべ清らかである。慈悲の表情の中に、生々しさを感じさせ、心に迫ってくる仏様にも出会う。早くに亡くなった母や父、突然逝ってしまった姉弟が、目の前に現れたような幻想の世界に入り込む。先に逝ってしまった人々と、いずれは死後の世界で再会するという教えがある。それは、今、目の前の石仏と対峙しているように、静かで無言の出会いだろうと想う。人間は、死ねば一切が消える。死んでしまったら、もう何も残らないと思うのだが・・・。
 
百観音とは、日本を代表する百寺の観音様であり、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の百観音を云い、その結願寺は秩父三十四観音の三十四番水潜寺とされている。
 西国三十三観音は、和歌山県那智の第一番青岸渡寺から始まり岐阜県の第三十三番華厳寺で終わる。京都の清水寺は第16番の札所である。その総延長距離は1200キロメートルで、ほぼ、四国八十八箇所の遍路道の距離に相当し、豪壮なお寺の連続である。
 坂東三十三観音は、鎌倉の杉本寺から始まり、関東地方全域を巡り、房総半島の館山、那古寺で、その全行程1300キロメートルが終わる。意外と知られていないのだが、浅草寺、つまり浅草の観音様は第13番目の札所である。
 秩父三十四観音は、埼玉県西部の秩父盆地に全観音寺が点在していて、巡礼をするには、然程の日時は要しない。住職の居ない無人のお寺が有り、野良猫が集まって昼寝をしているようなお寺もある。
 私は、妻を亡くした翌年の平成6年3月に始まって、平成11年の8月までの5年5ヵ月を費やし、百寺巡礼を結願している。歩き巡礼ではない。電車、バスを利用して廻ったのである。それでも、交通機関の無い辺鄙な場所にある観音寺には、何時間もかけて歩き続けた。仕事の合間を縫って通い続け、奈良、京都には東京から日帰りで出かけたこともある。この頃、精霊に憑りつかれたように、観音巡礼を繰り返していた。
 東京お遍路、第43番成就院の章でも触れているが、百寺巡礼が定着していった歴史は定かではない。長野県佐久市の岩尾城址にある大永5年(1525)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られているとのことで、それ以前の室町時代には、既に日本百観音巡礼が考案されていたことが分っている。
 それにしても秩父三十四観音は、なぜ三十三観音ではないのか。観世音は三十三の身に姿を変えて、悩める人々を救うという観音経の諸説に基づいて、三十三箇所が定着して行ったのだという。それなのに、なぜ、秩父だけが三十四箇所になったのか。
 九十九箇所は九十九、つまり「苦渋苦」を連想させる。室町時代の知恵者が、一箇所を加えて切りのよい百観音にしたのだろう。現代のビジネスマンだったら、その宣伝効果抜群と言うことで、社長表彰ものだ。
 ビジネスマン時代の後輩に、沢井良廣君がいた。私と同様に、高等学校しか出ていなかったが、大卒の仲間に伍して、職能では決して引けを取らなかった。優秀な人物だった。そんな彼が、上司に恵まれず、退職と云う苦渋の選択を強いられ、コンビニエンス・ストアーのフランチャイズ店を運営する道を選んだ。私が定年で退職した後のことである。何も力になれなかった自分を悔やんでいた。
 百観音明治寺から、さほど遠くない距離に、彼の住まいがある。その彼が、大腸がんの手術を受けて、自宅で療養しているという。そんな情報を、共に働いていた後輩が、先日、電話で伝えてくれた。百観音が鎮座する静寂な佇まいを離れ、彼の自宅を訪ねることにした。
 十数年のブランクは一気に消えて、往年の先輩、後輩の会話が続いた。大腸がんの手術を機会に、店の権利を他人に譲渡して、平穏な余生を過ごしたいと云う。思いのほか元気なので安堵した。爽やかな気持ちになれた一時だった。
 
 




     
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