第29番南蔵院(なんぞういん)

      山号 大鏡山(だいきょうざん)
      住所 豊島区高田1-19-16
      参詣 2012年5月5日
 
鉄筋コンクリート造りの本堂
 
  「面影橋」とは、なんとも風情のある名前だが、由来を調べてみたら、それほどロマンチックでもない。『江戸名所図会』に、「俤の橋」として、「・・・略・・・、長さ十二間余り、昔は板橋なりしが、近頃は土橋となれり。この橋を姿見の橋と思うは誤りなり。次に記す。この辺りの蛍は形大にして光り他にまされり。」とのあり、続いて「姿見の橋」の項がある。そこには、「・・・略・・・、昔はこの橋の左右に池がありてその水よどんで流れず。故に行人覗きみれば鏡の面に相対するが如く、水面湛然たる故に名とするとも・・・略・・・」と書かれている。ただ、諸説があることにも触れている。その一つは、「歌人の在原業平がこの水に姿を映したため故に名づく。」という説。その二が、鷹狩りの途中、逸れた鷹をこの辺りで見つけた将軍家光が、「台命によりてこの名を呼ばせられし由。」との説だ。
 この二つの橋は『江戸名所図会』では別の橋として捉えているが、記述の内容からして同じ橋ではないのかなぁ、と思う。「俤を映す橋」は「姿を見る橋」と同じことだし、これが「面影橋」として、今に伝えられたのだろうと、勝手に解釈しておく。
 面影橋を渡っただけで、高田の街は一変して静かな佇まいになる。左側に氷川神社があって、その先右側に南蔵院がある。『江戸切絵図』には、面影橋が「姿見橋」と描かれていて、その先の道筋も氷川神社があって南蔵院がり、南蔵院に沿って右に折れ、すぐまた左に登っていく坂道は、今の地図にぴったりと合う。
 南蔵院の本堂は比較的新しく、近代的な鉄筋コンクリート造りに建て替えられている。縁起によると、開基の円成比丘は、永和2(1376)に示寂したと伝えられているので、創建は南北朝時代になる。
 江戸時代には「八ツ門寺」と云われ、広大な敷地を有していたようだ。『新編武蔵風土記稿』の記述から、そのことが読み取れる。「…略…、大猷院殿(註:三代将軍家光)此邊御遊獵の時しは々々ならせられ、御殿なと御造營あり、…略…、當寺へ御成りの時四方へ出入せる門あり八ケ所門と名付けしと云、…略…」と、書かれている。
 門前右側の植え込みに、「名作怪談乳房榎ゆかりの地」と書かれた立札があった。三遊亭圓朝(18391900)が、南蔵院の天井に描かれた龍の絵を見て創作したと伝えられる講談である。この天井絵は現存しない。 (2012年6月21日 記)
 


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