東京お遍路 その1 高輪から三田、愛宕、新橋、赤坂を経て六本木まで。
 

歩いた日は、2011年6月15日。
 御符内八十八箇所霊場のお遍路を思い立って、寺院の分布図を眺めてみたら、順序が不連続になっていた。明治維新の新政府による神仏分離令や関東大震災、東京大空襲、戦後の大規模開発や、その後の都心の再開発などによって、多くの寺院が移転を余儀なくされた結果だろうと単純に考えたのだが、それにしても甚だしく、その順序は乱れている。
 順番に歩くことが信心の心得だろうとは思ったが、十返舎一九の「東都大師巡八十八箇所」には、「一、二の順番に拘らずその道順よきを記す、故に順逆交雑す、たとへば第一番高野寺より第二番二尊院へ行くは札所の順なれども、道に悉く損あるゆへ、一番より八十五番へ参詣すべし」と書かれているところを見ると、札所は江戸の開創当時から、順序よく繋がっていなかったようだ。従って、地域をエリアごとに分けて歩くことにした。それにしても、先ずは第一番高野山東京別院からお参りするのが信心の心得だろうと考え、第一回目は、高輪から三田、愛宕を経て新橋に向うエリアを歩くことにした。
 梅雨晴れ、というか曇り空で、こんな日は歩くのには恰好のお天気なのかもしれないと思い立ち、ゆっくりとした時間に我が家を出て、先ずは10時30分、山手線の品川駅から歩き始めた。薄日がさして来た。今日は暑くなるかもしれない。高輪二丁目の信号を左に折れて、桂坂を登りきったところに第1番札所東京別院があった。
 第1番札所高野山東京別院から第84番明王院に向う途中に、元禄赤穂事件で有名な、浅野長矩と赤穂浪士が祭られている泉岳寺がある。今日一日、時間はたっぷりあるので、立ち寄ることにした。これからの無事を祈念して、厄除けと勝運のお守りを求めたのだが、愛宕神社の曲垣平九郎が馬で登ったという、あの急勾配の石段のを見上げながら写真を撮っていたら、駐車するためにバックして入ってきた乗用車に、後ろから追突されてしまった。
 愛宕神社の急勾配の石段を登った左手にある茶店で、ラムネを求め、喉を潤した。車に接触して転んで打った左膝の傷は痛かったが、ほかには異常を感じないし、次の第67番真福寺に向って、愛宕山を下った。だけど、翌日は腰、左肩、左の脇腹が痛くなった。
 御符内八十八箇所霊場の寺院は、その名称の半数以上に「院」が付いている。四国八十八箇所霊場には、「院」が付くのは、第68番の神恵院しかない。後は、「坊」が一箇所で、その他は全て「寺」である。四国との違いは、江戸における寺院の成り立ちに起因する歴史的な背景があるのだろうか。
 「寺」と「院」の違いを調べてみたけど、今では曖昧になっていてよく分らない。もともと「寺」というのは中国の漢の時代に、高級官僚や外国からの来賓を宿泊させた建物のことで、後に僧侶が住む建物のことを表すようになったという。一方「院」は、本来、寺の敷地内にある一部の建物のことであり、寺に付随する建物のことを言ったようだが、今ではこの辺りが曖昧になっている。その意味では、「塔頭」、「坊」と呼ばれる寺院も、大雑把だけれど、「院」と同じ様なものかもしれない。
 六本木にある第11番不動院に辿り着いたのが夕方の4時30分。次を目指さないことにして、行きつけの小料理屋がある新橋に向った。
 

その1の目次

第1番高野山東京別院
第84番明王院
第65番大聖院
第69番宝生院
第80番長延寺
第13番龍生院
第67番真福寺
第20番鏡照院
第75番威徳寺
第81番光蔵院
第6番不動院

ちょっと寄り道。
愛宕山料亭「菜根」の悪夢


ちょっと寄り道。
坂道と自転車



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