第24番最勝寺(さいしょうじ)

      山号 高天山(こうてんざん)
      住所 新宿区上落合3-4-1
      参詣 2012年7月2日
 
祠に七福神が並んでいる

 
 おりから葬儀が行われていた。山手通りに面して葬儀案内の立て看板があったので、遠くからでも、目指す場所が分かった。入り口の左右に大きな石柱が建っている。これが山門だ。
 本堂は鉄筋コンクリートの高床式でリニューアルの真最中だった。本堂の扉や、本堂に続く階段の手摺には、白い塗料が吹き付けられていた。ビニールシートで養生されている。足場を気にしながら階段の中央をゆっくりと上る。本堂の手前で立ち止まって、般若心経を唱える破目になった。
 縁起では、鎌倉幕府の第5代執権、北条時頼の開創になると伝えられているが、あくまで伝承である。ただ、新編武蔵風土記稿を読むと、上落合村の八幡社や富士浅間社、下落合村の第六天社、稲荷社の別当寺であったと記されているので、寺格の高い寺院であったことが伺われる。
 庫裡の前に岩窟を模した小さな祠があって、七福神が祀られていた。日本では古くから信仰されている七柱の神様である。いや、仏様もいる。日本古来の土着信仰があり、インドのヒンドゥー教の神様や、中国の道教の神様もいる。いかにも日本人らしく、多種多様で、神仏習合の信仰対象を受け入れている。七福神詣での信仰は、室町時代の末期頃に生まれたようだ。
 恵比寿様は、もともと漁業の神様であったが、今では福の神として、商売繁盛や五穀豊穣の神様として信仰されている。大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ神と、日本古来の大国主命が合体したもので、食物や財を司る神となった。毘沙門天は、元はヒンドゥー教のクベーラ神であるが、日本では仏様の「天」として扱われるようになった。(註:「天」は、寄り道「仏様の位」の所で触れているので、参考にしてください。)弁財天は、七福神の中の紅一点で、ヒンドゥー教の女神、サラスヴァティーである。福禄寿と寿老人は道教の神様で、南極星の化身で、南極老人と呼ばれる。したがって、二者は同じ神様と解釈されて、寿老人の代わりに吉祥天が入っていることもある。布袋様は、唐の末期に実在していたと云われる仏教の高僧のことだ。
 七福神の霊場で、よく耳にするのは、谷中七福神、深川七福神、亀戸七福神、隅田川七福神などだが、手元にある、大法輪閣が出版した「全国霊場巡拝辞典」には、北海道から九州に至るまで、なんと、110箇所もの七福神霊場が集録されている。特に多いのが東京の20箇所で、東京を除く関東一円では31箇所ほどもある。江戸における七福神詣でが盛んであったことを物語っている。  (2012年7月22日 記)
 


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