第82番龍福院(りゅうふくいん)

      山号 青林山(せいりんざん)
      住所 台東区元浅草3-17-2
      参詣 2012年1月18日
 
ロートアイアン風にデザインされた山門
 
 
 山門は、青く塗られた鉄製の頑丈な観音扉である。扉の中央が丸く開けられていて、被せる様にロートアイアン風の模様が施されている。真ん中には梅の花を模った金色の花弁が付けられていた。施錠がされているから境内に入ることは出来ない。脇門に手をかけてみたけど、しっかりと鍵がかかっていた。山号が青林山なので、山門の扉が青く塗られているのか、なんて詰まらんことを考えている。
 門前に「小林清親墓」、と書かれた説明板があった。そこには、次のように書かれていた。
 「小林清親は木版浮世絵師最後の人といえる。江戸の末、弘化4年(1847)8月1日、浅草御蔵屋敷に武士の子として生まれ、上野戦争には幕府方として参加、明治維新後は、新聞、雑誌にさし絵を描き、生計を立てた。その前後、イギリス人ワーグマンに洋画を、河鍋暁斎、柴田是真からは日本画を修得、浮世絵師としての大成をはかった。やがて清親の版画には、上野、浅草を中心に新しい東京の風俗、建物が光と影によって描きだされ、それらは明けゆく明治の時代を先取りしたものとして、ひろく一般に迎えられた。それは、広重や国芳ともちがう、写実のなかに木版の刷の美しさを生かしたものだったが、浮世絵興亡の歴史からみれば、最後の光であった。・・・略・・・。平成14年11月、台東区教育委員会」
 最後の浮世絵師、あるいは明治の広重、と評されているそうだ。全く知らなかった。境内には小林清親の墓のほかに、「清親画伯之碑」と彫られた大きな記念碑が建っているとのこと。模様が施された扉の隙間から境内を覗いてみたが、中の様子は分らない。扉の隙間から、本堂に向けてカメラの照準をあわせ、写真に納めた。けれども、「清親画伯の碑」は、どこにも写っていなかった。
 そう云えば、先ほど歩いてくる途中で、誓教寺という寺院の門前に「都旧跡 葛飾北斎の墓」と書かれた説明版を見かけた。東京都教育委員会が建てたものだ。小林清親の説明版は台東区教育委員会が建てたものだが、この違いは何だろう。葛飾北斎は誰でも知っている。江戸時代後期の浮世絵師で、代表作に「富獄三十六景」があり、世界的にも著名な芸術家である。1999年、アメリカの雑誌「ライフ」に、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物」という企画で、日本人として唯一86位に選ばれている。
 固く閉ざされた門前の歩道で読経は憚れる。でも、人通りが少ないので、暫し瞑想した。
(2012年2月27日 記)
                 

 


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