第43番成就院(じょうじゅいん)

      山号 神勝山(しんしょうざん)
      住所 台東区元浅草4-8-12
      参詣 2012年1月18日
 
成就院の聖観音菩薩像

 
 
 浅草通り界隈には、御府内八十八箇所霊場の寺院9箇所が集中しているためか、成就院が2箇寺ある。あと一つは、今日最後にお参りを予定している第78番の成就寺だ。この間、距離にして400m程もない。
 本堂は昭和62年(1987)に再建されたとのこと。白壁に朱に塗られた柱や火炎窓が映える。縁起によると慶長16年(1611)日本橋矢ノ倉、現在の東日本橋辺りに、乗誉法印が開創したといわれる。但し、何世にあたる乗誉法印なのか分らない。万治年間(1658〜60)に、幕府の市街地再開発により、現在地に移転している。
 境内には、百観音と彫られた台座の上に聖観音菩薩像が立っている。傍らの百観音由来記には次のように書かれていた。「当成就院は、古来通称百観音と云われてまいりました。百観音とは、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番観音霊場の総称であります。江戸時代には当境内にその百体の観音菩薩像がまつられていたと伝えられています、佛教信者にとって一生一度は、百観音霊場の参拝を念願するものとされています。・・・略・・・」
 私は、平成6年の春から平成11年の秋の結願まで、5年半もの歳月を掛けて百観音を巡り終えた。百寺巡礼が定着して行った歴史は定かではないが、長野県佐久市の岩尾城址にある大永5年(1525年)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られているそうで、それ以前の室町時代には日本百観音巡礼の習俗が定着していたようだ。
 三十三という数字の観念は、観世音菩薩が三十三の姿に化身し、悩める人々を救うという観音経の経説からきていると云う。それなら、なぜ、秩父霊場が三十四なのか、道理がたたない。西国、坂東、秩父を合わせて九十九箇寺はキリが悪いし、苦渋苦を連想させる。百観音信仰が定着した室町時代の知恵者が、一箇寺を加えて切の良い百観音にしたのだろうと思う。現代のビジネスマンだったら、その宣伝効果抜群と云うことで、社長表彰ものだ。
 本堂の前で般若心経を唱えた。静かだ。誰に憚ることも無い。声を上げて唱え終わり、暫しの瞑想にふけっていたら、人の気配を感じた。振り返ると赤児を抱いた若い女性が庫裡の前に立っていた。成就院の奥様だろう、微笑みながら会釈をされた。私も帽子をとって会釈を返した。私が山門に向う途中にも微笑みは消えなかった。思わず、「有難う御座いました」、と挨拶を返した。気持ちが和んだ。(2012年2月7日 記)

 


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