第51番延命院(えんめいいん) 山号 玉龍山(ぎょくりゅうざん) 住所 台東区元浅草4-5-2 参詣 2012年1月18日 |
延命地蔵
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縁起には、俗に振袖火事といわれる明暦3年(1657)の大火のあと、日本橋矢の倉、今の東日本橋から現在地に移ってきたと記されている。家康、秀忠、家光の三代にわたって進められてきた江戸の居住区拡張工事は、明暦大火後の復興で拍車がかかり、区画整理によって浅草通りの両側に寺町が形成されたのである。
それまで、浅草通りの両側は江戸幕府が開かれて以来、下級の幕臣や徒侍の居住地であった。寺町は浅草寺周辺に形成されていて、それに対する意味から、新しく開かれた寺町を、「新寺町」と呼ぶようになった。新寺町には、日本橋界隈から移転してきた寺院が多い。御府内八十八箇所の札所9箇寺全てがそうだ。古地図を見ると、今の浅草通りは新寺町通りと記されている。 縁起の続きだが、延命院に祀られている弁財天は弘法大師の作と伝えられている。弘法大師にまつわる開創縁起は多岐にわたっている。それが仏像の彫刻であったり、修行の足跡や、清水、温泉、井戸などの恵みを、その地に与えたという伝承である。弘法大師ほど日本各地にわたって伝説が点在している人物はいない。まさにスーパーマンだ。本題から外れたが、弘法大師は琵琶湖の竹生島に参籠し、二体の弁財天を彫ったが、その一体は竹生島に納め、もう一体が延命院に祀られているという。 江戸時代の札所は、鳥越神社の別当で長楽寺であったが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、延命院に移されたそうだ。 鳥越神社は、延命院から真っ直ぐ南に向って800mの距離にあり、白雉2年(651)の創建だと伝えられている。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している神社だ。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏が、その祖新として祀ったとされ、徳川家康は、蔵前付近にあった松平神社に祀られていたのだが、関東大震災で焼失したため、大正14年(1925)に合祀されたものである。毎年、6月中旬に行われる鳥越神社の例大祭は、江戸情緒を偲ばせる下町の風物詩になっている。 般若心経を唱え終えて、本堂の左手に置かれている延命地蔵様に手を合わせ、余生の無事を祈った。「南無延命地蔵菩薩」と書かれた赤い幟が立っていて、竹垣を背にして赤い涎掛けをした地蔵様が二体置かれている。写真に収めた。 人の気配がして振り返ったら、若い住職が庫裡の前に立たれていた。私に向って丁寧に頭を下げてくださる。柔和な顔だった。私の一挙手一投足が見られていたようで、ちょっと恥ずかしくもあった。 (2012年2月16日 記) |
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