葛飾北斎の琉球八景  
「画狂老人卍墓」と刻まれた葛飾北斎の墓


 
 ちょっと寄り道します。
 御府内八十八箇所霊場、第60番吉祥院の通りを隔てた反対側に誓教寺がある。その門前左手に「都旧跡 葛飾北斎の墓」、と書かれた東京都教育委員会が建てた説明版があった。そこには次のように書かれている。
 「江戸後期の著名な浮世絵師で、葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可侯、画狂人、卍翁など三十余ある。宝暦10年(1760)9月江戸本所割下水で生まれ父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派画法を学び師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画を学び独自の画境を開いた。・・・・・・」、以下は世人の知るところであり略す。
 葛飾北斎の墓は、祠のように屋根をしつらえて囲われていた。墓碑に刻まれた文字の風化を防ぐためだろうと思う。そこには「画狂老人卍墓」と書いてあるそうだが、直ぐには読めない。何度も目でなぞっていると何となく読めてくる。墓碑の傍に、昨年秋の東京文化財ウイークに東京都教育庁が作成したポストカードの説明書が置いてあった。そこに、現在の墓は他家の養子になった次男の崎十郎が建てたとも、その娘の白井多知が建てたとも言われている、と記されてい
 我が家の居間に、沖縄の琉球放送が制作した2012年度版のカレンダーが掛かっている。「北斎の描いた琉球・琉球八景」と題名が付けられた浮世絵のカレンダーだ。以前、日本航空の機内誌「スカイワード」に琉球八景が取り上げられ、私が話題にしたことを覚えてくれていたのか、琉球放送に縁のある娘婿が送ってくれたものだ。
 北斎が「琉球八景」を描いたのは天保3年(1832)で、その年、第16回目の琉球使節が江戸にやって来ている。中国風の装束や音楽で、異国情緒が溢れた琉球使節の行列を見物して、大衆の関心は盛り上がったものと思われる。そのことが切っ掛けとなって、「琉球八景」が描かれたようだ。私が最初に「琉球八景」に出会ったとき、北斎が琉球に足跡をしるしたという事実はないので、琉球使節の中に絵心のある随行員がいて、語り合いながら想像を逞しくして書いたのだろう思った。が、そうではなかった
 北斎の「琉球八景」は、浦添市美術館が所蔵している。発行されているパンフレットには、「葛飾北斎が描いた琉球八景は、『琉球国志略』の「球陽八景図」を元に制作されたといわれる」と書かれていて、八景図と北斎の絵が対比されて掲載されている。因みに、「球陽」とは琉球王朝の正史として編纂された歴史書であり、「球陽八景」とは即ち「琉球八景」と同義語である。『琉球国志略』は、1755年に清国が琉球に送った冊封副使「周煌」が書いたもので、琉球の自然、人文、諸事百般を客観的に記述し、史料的価値は高いと評価されている。この中に那覇の風景が八箇所描かれていた。
 北斎が代表作「富獄三十六景」を完成させたのは1831年なので、翌年に「琉球八景」を描いたことになる。琉球放送が制作したカレンダーは、この八景と今に見る風景とが対比してある。当然のことながら、全く異なる景観である。その中で「筍崖夕照(じゅんがいせきしょう)」と名付けられた風景は、描かれた波上宮、護国神社は現存しており、また崖下には波の上ビーチが広がっていて、なんとなく今に似た景観である。
 八景の中に「龍洞松涛(りゅうどうしょうとう)」の雪景色がある。積雪は北斎の創作である。近年、沖縄で雪が降った記録はない。北斎が下絵にした冊封副使「周煌」が書いた絵図にも雪は描かれていない。沖縄で雪が積もることは稀有なことだ。ただ、気象庁に残る記録では、1977年2月17日に、久米島でみぞれが観測されていて、みぞれは観測分類上雪になるそうで、その限りでは、近年雪が降ったと云うことになる。琉球王朝の正史「球陽」には、何度かの降雪の記録が残されているという。記述によると、1816年には久米島で2.5p、伊平屋島では6cmの積雪が確認されたそうだ。

                          琉球八景・龍洞松涛
画像

 
 「城嶽霊泉(じょうがくれいせん)」には赤富士が描かれている。そこだけが特定の場所のように目を引く構図になっている。北斎は、明らかに富士山を意識して描いていると思わせる。「琉球八景」には、精根込めて描き上げた「富嶽三十六景」の余韻が残っているのだ。北斎の「琉球八景」を見た江戸の人々は、琉球の地をどのように思いやったのだろうか。興味あるところだが、これらに関する資料は見つからない。
 博識で読書家の友人に、琉球放送が制作したカレンダーを進呈したら、北斎の「琉球八景」は全く知らなかったと云っていた。貴重な資料を頂いた、と喜んでくれた。(2012年2月29日 記)
 
 


第60番 吉祥院←                 →第78番 成就院

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その5端書きへ


烏森同人のtop頁へ