第26番来福寺(らいふくじ)

      山号 海賞山(かいしょうざん)
      住所 品川区東大井3-13-1
      参詣 2011年10月20日
 
阿波藍商人墓標群

 目黒から五反田、大崎を経て第一京浜に入り、東大井まで、凡そ5kmの距離。たっぷり一時間は歩いたように思う。地図を眺めながら、頃合いや良しと右折して横道に入って行った。なんと、ドンピシャリ来福寺の参道に突き当たった。
 緩やかな石段を登り、山門を潜った。手入れが行き届き、広々とした境内は、秋とはいえ緑が映えて美しい。本堂に向かって般若心経を唱え、瞬時黙祷し、いつもの儀式を終える。
 本堂の前に、「来福寺の由緒と現況」と書かれた縁起や、品川区文化財研究会が発行した「品川区の歴史」と、品川区教育委員会が発行した「しながわの史跡めぐり」それぞれから、来福寺の部分が抜粋された印刷物が置かれていた。
 由緒によると、「この寺は一条帝の御代、正暦元年(990)藤原兼家が摂政の時、智辨というお坊さんによって開かれ、ご本尊は真言宗の宗祖、弘法大師の御作と伝えられる、延命地蔵菩薩であります」と、書かれている。本堂の脇に「延命子育守」と書かれたお守りが置かれていたので、有難く頂戴してきた。
 本堂の左右には松と桜が植えられている。松は「梶原の松」といい、鎌倉時代の武将梶原景季に縁があるという。江戸名所図会には、「延命桜(本堂の左の方の庭前にあり。(梶原の松)と同所にあり。梶原氏手親栽(てづからう)うるとなり。)・・・略・・・、当寺境内、桜樹数株ありて悉く品を頒(わか)てり。弥生の花盛りには、遠近薫りを慕いてここに遊賞する人少なからず。」という、記述がある。
 本堂の左手から裏側に向かって墓地が続いていて、中程に阿波藍商人墓標群がある。墓石を3段に積み重ね、天辺に地蔵像が置かれていた。寛永年間(1624〜44)から、明治までの凡そ200年間に、来福寺に葬られた阿波の国の藍商人の墓を、明治2年(1927)に整理して合葬したものであるという。66基の墓を合葬したといわれるが、外面から確認できるのは35基である。品川区教育委員会が建てた説明板には、「阿波藍商人の江戸への進出と品川地域との関わりを示す歴史資料として貴重なものです」、と書かれていた。
 知人に頂戴した川越銘菓がバックの中に入っていた。頬張りながら暫らくの間、ベンチに座って疲れた足を休める。 (2011年11月21日 記)
 
 
 


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