第75番威徳寺(いとくじ)・赤坂不動

     山号 智釼山(ちけんざん)
     住所 港区赤坂4-1-10
     参詣 2011年6月15日

 
一ツ木通り。右側に山門が見える。
 



 東京は坂の多い町だ。てくてく歩いてみると良く分る。坂にはそれぞれの歴史が刻まれていて、名前の由来を書いた標識が立てられている。赤坂の地名からして、坂の多い町だろうという想像はつく。
 赤坂の地名の起こりは、一般的には赤土の坂に由来すると解釈されている。また、急な「上がり坂」が赤坂に転訛したものだともいわれている。
 港区赤坂の地名は、今の紀伊国坂が、江戸時代に赤根山に登る坂、「茜坂」とも呼ばれていて、そこから名づけられたという。この付近の小字が赤坂であったことから、江戸城の門が「赤坂御門」と名付けられたので、付近一帯の地名になった。
 威徳寺のある一ツ木通は、大都会の赤坂なのに、お寺の門前町のような、どこか不思議な雰囲気の町並みが展開されている。歩道脇には、梵字のような、そうでないような模様が彫刻された境界石が並んでいて、車道と分けている。
 威徳寺は赤坂不動と呼ばれている。一ツ木通り沿って一風変った背の高い朱塗りの山門があった。山門というより、神社の鳥居とミックスされたような形だ。不思議な佇まいだ。上部に大きく赤坂不動尊と書かれている。なんとも威厳のない看板だなぁと思う。でも、歴史は感じさせてくれる。門の脚部分に、小さく威徳寺という文字が読める。  山門を潜り、参道を登っていくと、左が駐車場になっていて、奥の方に場所にそぐわない立派なお百度石があった。右側に、こじんまりした朱塗りの本堂があり、数名の参拝者がお線香を焚いていた。今でも不動尊として信仰を集めているようだ。
 縁起に寄れば、本尊の不動明王は、後の最澄で伝教大師の作だと伝えられている。伝教大師が唐より帰国する航海で暴風に遭遇し、自らが刻んだ不動尊を海に沈めて祈願したところ、嵐が静まり無事に日本にたどり着いたという。それから五十年の後、越後出雲崎の漁師がこの像を発見したという伝承が残っている。
 本堂の前は不動尊に関わりの無い人の往来が多い。坂の上に出ると丹後坂、牛鳴坂のてっぺんに出るから、近くに住む人たちの良い抜け道になっているようだ。 (2011年8月7日 記)

  

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