第58番光徳院(こうとくいん) 

      山号 七星山(しちせいざん)
      住所 中野区上高田5-18-3
      参詣 2012年7月2日
 

札所唯一の五重塔
   
 朱塗りの山門で、小さな造りだが、重厚な雰囲気を持っている。ただ、気に入らないのは、山門の左側が開け放たれて、境内に出入りする車の通り道になっていることだ。片腕を削がれたようで、何とも寂しい。山門は閉ざされているので、脇道から入るしかない。都内に寺院を構えるには、その立地に色々な制約がある。これもまた、やむを得ない方策なのだろう。
 本堂の左手に五重塔がある。浅草の観音様には、立派な五重塔があるが、あれほどの威容を誇るものではない。高さ15mほどの、小ぶりで、端正な容をした塔である。平成7年(1995)、落慶とのことだ。光徳院の縁起だが、慶長年間(1596〜1615)、麹町に創建され、寛永年間(1624〜44)市ヶ谷田町に移り、さらに牛込柳町に移転したとある。現在地に移ったのは、明治43年(1910)とのことだ。
 山門の前に、築地塀を背にして、擬宝珠を冠した標石が建っている。そこには、「天満宮御直作 千手観世音菩薩」と刻まれていた。つまり、ご本尊の千手観音菩薩は、菅原道真が流罪となった大宰府で、自らが彫った観音像である、と書かれているのだ。
 その標石に並んで、少し背丈の低い石柱が建っている。御府内八十八箇所を示す標石だが、台座に深川佐賀講の文字が読める。これまでに、第87番護国寺でも佐賀講の文字が彫られた台座を見たような気がするし、第31多聞院の参道では、石灯篭の台座に牛込新栄講の文字が刻んであったのを見かけた。講で結ばれた信徒が奉納したものである。
 「講」とは、同じ信仰を持つ人々の集まりで、お金を出し合い、代参人を決めて信仰対象の神社仏閣にお参りするのである。これらは、代参講として総称されるが、よく耳にするのが、伊勢講、成田講、大山講などだ。地域の信仰対象にお参りする、観音講、薬師講、大師講や、特定の対象物を祭祀する、えびす講、天神講、地蔵講、庚申講などもある。
 代参講から派生したのが、皆で出し合ったお金を、入札やくじ引きによって、講の構成員に融通するという相互扶助団体、つまり頼母子講や無尽講である。関西では頼母子講と云い、関東では無尽講と呼んでいる。因みに、沖縄では、今日でも模合(もあい)という講があって、文房具店に行けば、入出金を管理する「模合帳」が、普通のノートに並んで売られている。沖縄の人だったら誰でも知っている講だが、今では、金銭の相互扶助と云うより、親睦を深めることが目的になっている。 (2012年8月5日 記)

                
 
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