第78番成就院(じょうじゅいん) 山号 摩尼山(まにさん) 住所 台東区東上野3-32-15 参詣 2012年1月18日 |
清々しい境内
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1時間ほど前にお参りした、第43番の成就院と寺号は同じだ。山門を潜ると石畳が続き、正面に庫裡があり、右手に本堂がある。瓦葺の大屋根だ。庭の手入れが行き届いている。第82番龍福院、第60番吉祥院と、山門が固く閉ざされた寺院が続いたので、なんだか懐かしい気分になる。
本堂の向かい側に大師堂があった。四国八十八箇所霊場には、必ず大師堂がある。本堂で般若心経を唱え終えてから、もう一度大師堂の前で唱える。これまで歩いてきた寺院に大師堂は在ったのかなぁ、気が付かなかった。成就院は、東京大空襲の難を逃れ、戦前に建てられた本堂や庫裡がそのまま残ったというが、大師堂があるのも、戦災を逃れたためなのかもしれない。 縁起によると、徳川家康に従って江戸に入った高僧鏡伝法印によって慶長16年(1611)、神田北寺町、今の岩本町辺りに創建され、慶安元年(1648)に現在地に移転してきたという。当時は田圃の中にあったので、通称田中成就院と呼ばれていたそうだ。時代が下がって嘉永年間(1848年〜1854年)の江戸切絵図を見ると、その一画は赤く縁取られた成就院の他に7寺院と松平対馬守屋敷、神社があり、寺院の門前の僅かな面積は「門ゼン」と記され、町家があったことを思わせる。江戸初期から200年も経つと想像もつかないほど、都市化が進んでいるものだ。 清々しく整えられ、気持が落着く境内だ。ゆっくりと般若心経を唱え、暫し瞑想して成就院を後にした。門前の歩道に出て、もう一度頭を下げる。 今日の行程はこれで終わりである。浅草通りに出て左折すると、すぐ左手に赤い鳥居の下谷神社があった。ちょっと寄ってみることにした。大歳神と日本武尊が祀られている由緒のある神社だ。東京大空襲の戦火を逃れたといい、少々雑然とはしているが、昔ながらの風格が感じられる神社である。初めて知ったのだが、明治5年までは「下谷稲荷社」が正式名称であったそうだ。旧町名の稲荷町は、ここから付けられた名前のようで、地下鉄銀座線に稲荷町駅の名前が残っている。第61番正福院のところで、正福院が「柳稲荷」と呼ばれるようになった経緯を書いて、稲荷町という旧町名と関連付けようとしたが、本家本元はこの下谷神社だったのだ。 境内に「寄席発祥の地」と彫られた比較的新しい石碑がある。何でも、寛政10年(1798)6月に、この境内で初代山生亭花楽、(三笑亭可楽と名を変え、現在は9代目)が、5日間の寄席興行を行ったといい、これが江戸庶民を対象にした最初の寄席興行だそうだ。そんな歴史があって、平成10年に記念碑が建てられ、盛大な除幕式が行われたという。 浅草寺町界隈を歩いていると、ここが江戸庶民の支えた町だということがよく分る。いろいろな歴史に遭遇する。 |
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