第13番龍生院(りゅうしょういん)

      山号 高野山(こうやさん)
      住所 港区三田2-12-5
      参詣 2011年6月15日

 
龍生院山門
 

 

長延寺の先で桜田通りが大きく右にカーブしている。横断歩道を渡り右に行くと慶応義塾大学の正門前に出るが、まっすぐの道を選び、緑の生い茂る綱坂に入っていった。大通りから一歩逸れるだけで、静かな空間が広がり、次々に高級マンションが現れる。濃い緑に囲まれた三井クラブがあり、イタリア大使館がある。通りすがり人にお願いして、大使館の正門前で写真のシャッターを押してもらった。深い意味は無いのだが、自分の住む環境から余りにもかけ離れた佇まいに、異国に迷い込んだ気分になってしまったようだ。
 綱坂の標識には、羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士、渡辺綱がこの付近に生まれたという伝承から、それが坂の名の由来になったと書かれている。綱坂を上りきって左に桜田通りに向って下る坂は「綱の手引き坂」という。また、これから行く龍生院には、渡辺綱の産湯を汲んだ井戸があるという。その子孫は渡辺党と呼ばれ、瀬戸内海から九州にかけて活躍した水軍を統括したといわれている。
 龍生院は桜田通りから石畳の横丁を入った突き当たりにあった。手入れが行き届いているとは言えないお寺だが瓦葺木造の古色蒼然とした本堂を見ると、ん、これぞお寺だ、という気分になる。マンション寺院を見てきた後だから、余計にその感が深い。
 縁起によると、創建は紀州和歌山の高野山にあって、弘法大師の高野山開創に遡るという。天保13年(1842)、高野山の大火で焼失し、明治27年(1894)頃、中興開山といわれる渡辺貞浄尼が、現在地の三田に移したのだという。本来の13番札所は霊岸島の橋本稲荷の別当、円覚寺であったが、明治の後期に火災のため廃寺となり、焼失を免れた仏像と伴に、札所も龍生院に移されたそうだ。
 左側の高台から裏手に掛けて慶応大学が広がっている。園丁が草木の手入れをする機器の音で、般若心経を唱える声がかき消されてしまう。声を張り上げて唱えていたようだ。学生らしき若者が笑いながら路地を抜けていった。
 境内の右手にある民家や、横丁の両脇にある建物は、どこか昔の下宿屋の趣がある。かつては慶応大学に通う学生さんの下宿屋だったのかもしれない。今では下宿屋は流行らない。今の学生さんはマンションに住み、外食産業が発達していて食事の心配も無い。下宿屋は死語になりつつある。(2011年7月22日 記)

  



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