第76番金剛院(こんごういん)

      山号 蓮華山(れんげざん)
      住所 豊島区長崎1-9-2
      参詣 2012年7月2日
 
朱塗りの山門
 

 
 平成8年(1996)6月に、豊島区教育委員会が建てた説明板がある。和文と英文で、金剛院の来歴が詳しく書かれていた。以下、その全てを写す。
 「金剛院は、聖弁和尚によって大永2(1522)年に開創された真言宗豊山派の寺院で、正式には蓮華山金剛院佛性寺という。本尊は、観世音菩薩と勢至菩薩を脇侍として配した阿弥陀三尊である。開創当時は現境内地から北西方向に800mほど離れた、長崎3丁目観音堂(現在は当寺の境外仏堂)の位置にあったといわれており、宝永6(1709)年ごろに当地へ移転した。
 宝暦8(1758)年には、「百字真言梵鐘」と呼ばれる釣鐘が鋳造されている。その後の安政年間(1854~60)には、尼僧の智観が寺子屋を開設し、長崎地区の庶民教育の拠点となっていたほか、明治元(1868)年の神仏分離令までは長崎神社を管理する別当寺でもあった。さらに明治34(1901)年には、寺内に長崎村役場が置かれていた。
 薬医門様式の山門は、安永9(1780)年に建立されたものである。その装飾は彫が深く、意匠的にも優れているため、平成6(1994)年6月に豊島区指定有形文化財になった。その後、平成8年には山門の保存修復および左右両袖塀の復元工事が実施されている。また、この山門が朱塗りであったことから、「赤門寺」と呼ばれていたこともあったという。
 境内にある2基の板碑のうち、1基には阿弥陀如来の画像が、もう1基には永享12(1440)年の年号が刻まれている。また、宝永4(1707)年に長崎村の村人が造立した庚申塔も1基残されており、いずれも地域の歴史と文化を伝える貴重なものとして、豊島区登録有形文化財になっている。」
 これを読むと、金剛院のすべてが分ると云うことだ。ここまで歩いてきて、これほど丁寧に説明されている寺院に出会ったのは、初めてである。
 読んでいて全く分からない文言がある。「百字真言」の意味だ。密教行者にとっては、最も重要な真言で、これを唱えれば、浄化できないものは何一つないというのだ。チベット仏教では、ごく普通の真言の様で、チベット僧の修行では、これを10万遍唱えることになっているそうだ。私が般若心経を唱えるのとはわけが違う。
 境内は緑が豊かだ。寺子屋を開いたという「智観比丘尼」の碑が、緑に囲まれていた。
 (2012年7月10日 記)
 


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