第74番法乗院(ほうじょういん)
       (深川ゑんま堂)

     山号 賢䑓山(けんたいさん)
     住所 江東区深川2-16-3
     参詣 2011年11月21日 
 
巨大な閻魔大王様

 満徳院を出て、首都高速9号線の下を潜る。高速道路の真下には、かつては油堀という運河が流れていて、隅田川から富岡八幡宮の北側を通り、木場を結んでいた。満徳院から法乗寺に向うには、この油堀に架かる「富岡橋」を渡ったのである。今では運河が埋め立てられて、その面影はないが、小さな公園が整備されていて、「とみおかはし」と刻まれた親柱が残されていた。
 この深川の富岡橋は、池波正太郎の「鬼平犯科帳」や、宮部みゆきの「初ものがたり」に描かれ、作品の中では重要な役割を果たしている。
 法乗院は、古くから、「深川えんま堂」としても知られている。この「深川えんま堂」は、宝暦10年(1760)に建立され、江戸三閻魔の一つとして人々に親しまれていたようだ。もっとも、江戸時代の三閻魔は、下谷にあった善養寺、蔵前にあった華徳院、内藤新田の大宗寺を指すのが一般的のようだ。まっ、そんなことはどうでもよろしい。
 法乗寺の閻魔様は、高さ3.5mもあり、寄木造りの巨大な閻魔大王である。お賽銭を上げると後光が輝き、有り難いお言葉が頂ける仕組みになっている。
 河内黙阿弥の歌舞伎、「髪結新三」に描かれた「深川えんま堂」の場面は、よく知られている。髪結新三の科白は、耳に心地良く響く七五調である。
 「ちょうど所も寺町に娑婆と冥土の分かれ道、その身の罪も深川の橋の名さえも閻魔堂、鬼といわれた源七がここで命を捨てるのも、餓鬼より弱い生業の地獄のかすりをとった報いだ・・・」さらに、老侠客源七親分の名調子が続く。
 法乗寺は清澄通りに面して、葛西橋通りの交差点から二軒目にある。分りやすい場所だ。縁起によると、寛永6年(1629)深川富岡町に創建され、同18年に現在地に移ったと書かれている。本山は、西国33観音の第8番目大和長谷寺である。今の奈良県桜井市初瀬にあり、手元にある西国33霊場納経帳を見たら、平成9年8月16日に参拝している。暑い夏の最中に妻を亡くして、丁度4年目にあたる。本堂で人目も憚らず涙した記憶がある。
 ガイドブックによると、境内には曽我五郎の足跡石がある、と書いてあった。閻魔様と会話をしていたら、見るのを忘れてしまった。 (2011年12月14日 記)
 
 


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