第32番圓満寺(えんまんじ)

      山号 萬昌山(ばんしょうざん)
      住所 文京区湯島1-6-2
      参詣 2012年4月9日
 
 圓満寺の袖看板
 霊雲寺から傘谷坂を下って行くと、本郷通りから蔵前橋通りが分岐する地点に出る。傘谷坂は、「からかさだにざか」と読むそうだが、「かさだにざか」が通称のようだ。文京区教育委員会が建てた説明板には、江
戸時代に、傘づくりの職人が多く住んでいた窪地であったので、その名がついたと書いてある。
 圓満寺は、本郷通りを神田明神の方向に下った直ぐの左側にあった。突然、目の前に圓満寺の看板が現れたのでびっくりした。山門があるわけではない。普通の袖看板が、ビルの壁に取り付けられているだけだ。ビルの左側壁に真言宗圓満寺、その下に、「おむろビル」と書かれたプレートがはめ込まれていた。霊雲寺の広い境内と大本堂を見てきたばかりだから、この落差には本当に驚いた。
 煉瓦色のビルである。間口は三間位か。一階が半地下になっていて、駐車場になっている。左側に鉄製の階段があって、二階からエレベーターで上階に上がれるようになっていた。
 さて、庫裡は何階だろう、本堂は・・・。どこにも、何も書かれていないから、本等に、このビルの中にお寺があるのか不安になってきた。まっ、常識的には、本堂は一番上階の9階だろうと推測して、9階のボタンを押したけど、エレベーターは動かない。それならばと、8階のボタンを押したら動いた。古いエレベーターのドアーが、ぎこちなく閉まった。8階の薄暗い踊り場に、御朱印が押された紙が置かれていた。ご自由にお持ち下さい、ということなのだろう。念のため、チャイムを押してみたが応答はなかつた。
 縁起だが、『江戸名所図会』によると、木食義高上人が、宝永7年(1710)に開山したとある。ちなみに、木食(もくじき)とは、穀物を断ち、木の実や山菜しか口にしないという戒律を守る僧のことだ。そして、6代将軍家宣が、「宝永七年六月地一千坪を給し建立の資金百両を与えた」、とある。本多忠晴寺社奉行の支配下になり、特別に遇せられて、伽藍も整備されたという。『江戸名所図会』の挿絵に見る限り、先ほど訪れた霊雲寺と、その規模においては遜色がない。広い境内に仁王門や多宝塔、本堂があって護摩堂左には方丈が描かれている。今の様相に変るまで、どんな歴史があったのだろうか、一編の歴史物語りになりそうだ。

『江戸名所図会』に描かれた圓満寺
 圓満寺の本山は京都市右京区御室(おむろ)の仁和寺だという。真言宗御室派の総本山だ。うん、だからビルの名前が「おむろ」なんだ。 (2012年5月7日  記) 
 


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