第73番東覚寺(とうかくじ)
       (亀戸不動)

     山号 法号山(ほうごうざん)
     住所 江東区亀戸4-24-1
     参詣 2011年11月21日 
 
真新しい本堂の東覚寺

 江東区、墨田区は江戸時代に整備されたりょういき領域が広がっている。だから、町並みは碁盤の目のように区画されていて、道路は東西、南北に伸びている。
 富岡八幡宮の左側から通りに出て、北に向って歩き、葛西通りを東に向かって歩く。三ツ目通りを北に向かって歩き、清洲橋通りに出ると、今度は東に向って歩く。清洲橋通りは扇橋三丁目で右にカーブしているが、そのまま真っ直ぐに道なりに歩いて、小名木川に突き当たり、東に向って歩き、その先で明治通りに入る。明治通りを北に向って歩くと、JR亀戸駅に辿り着く。
 明治通のりの竪川に架かる橋を五之橋という。竪川は江戸期に掘削され、隅田川と中川を結ぶ運河で、小名木川の北側に並行して延びる人工河川である。隅田川から数えて五番目に架かった橋だから、五之橋と名付けられた。隅田川に一番近く、両国から清澄に向う一之橋通りに架かるのが一之橋、清澄通り架かるのが二之橋、三ツ目通りに架かるのが三之橋、四ツ目通りに架かるのが四之橋である。
 竪川は、縦(東西)に流れるから、この名前がつけられたと云う。私の認識では南北、つまり上下が「竪」ではないのかと思うのだが、竪川と交差して南北には大横川が掘削されている。新編武蔵風土記稿では、大横川の事を次のように記述している。「竪川に対して横川の名あり、又大横川とも唱う、幅二十間萬治二年の堀割と云う・・・略・・・」
 今では、地図を描くときの基準として、必ず北を上にすることになっている。江戸期の古地図を見ると、そのように統一されていたわけではない。先ず、江戸城が上にあって、隅田川を左から右に伸びるように描き、その下に江東地方を持ってきたのではないか、そうすると、私の頭の中で縦横が反対になっている理由が分る。
 門前には「大山同木同作 不動明王」と彫られた古い石柱が建っている。確認に手間取ったが、天保二年の文字が読める。これは、神奈川県の雨降山大山寺の不動尊と同じ木から作られたという意味だそうだ。江戸時代は「盗難除け不動」として親しまれ、今では亀戸不動の名で知られている。山門を入った右に、亀戸七福神の弁財天を祀るお堂がある。亀戸の正月は、七福神巡りで賑わう。
 本堂は近年になって改修されたようで、真新しく、いかにも寺院といった堂々とした構えである。
 (2012年1月4日 記)
                     
 
 


第68番 永代寺←                 →第40番 普門院

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その4端書きへ


烏森同人のtop頁へ