大山道と大山詣り

      


歌川国芳の描く「大山詣で高輪の図」

 ちょっと寄り道します。
 大山阿夫利神社は、丹沢山塊の大山にある神社である。標高1252mの大山は、相模平野のどこからでも見ることが出来る。古くから神の宿る霊山として、山岳信仰の対象とされてきた。大山は別名を「阿夫利(あふり)山」とも云い、「雨降り山」と読み替えて、阿夫利神社は雨乞いの神としも農民の信仰を集めていた。因みに阿夫利神社の下にある大山寺の山号は雨降山である。
 この阿夫利神社に続く街道を大山道という。あるいは大山街道とも呼ぶが、関東各地から大山阿夫利神社に詣でる道であり、各所に大山道の名前が残っている。文献によると、経路は20ヶ所以上を数えることが出来る。江戸からの主要な経路は二つある。東海道の藤沢宿から寒川町一の宮から相模川を渡り、今の県道44号線の道筋を経て、平塚市溝内から伊勢原市に入り、県道61号線の石倉、小易を経て大山に至る道筋で、「田村通り大山道」と呼ぶ。この道は東海道藤沢宿を起点としているので、江の島弁財天にも通じていて、最も賑わいのあった経路だと云われる。
 もう一つは赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋から瀬田を経て二子で多摩川を渡り、相模野の中央を横切り、足柄峠手前の矢倉沢に至る「矢倉沢往還」である。別名、江戸府内の青山を通るので「青山通り大山道」とも呼ばれている。当時の大山道を忍ぶ道標が各所に保存されていて、世田谷区三軒茶屋の交差点には、不動明王を載せた立派な道標が建っている。
 その他には、熊谷市から八王子市を経て大山に向かう「八王子通り大山道」、春日部市から府中市を経て大山に向かう「府中通り大山道」、埼玉県日高市から大山に向かう「武蔵秩父日高・飯能道」、相模原市から大山に向かう「津久井通り大山道」、平塚市から大山に向かう「矢崎通り大山道」、大磯から平塚、伊勢原を経て大山に向かう「伊勢原通り大山道」など、数え上げたら切りがない。
 大山詣では、628日を初山と云った。71日から朔日山、8日から13日までを間の山、14日から17日までを盆山と云って、7月が参拝のシーズンとして賑わったようだ。大山は雨乞い、つまり水の神様として相模から武蔵に至る農民の信仰が篤く、村の代表として参拝する代参講が多く見られる。江戸市中では、厄除招福の信仰の山として、また鳶職人は防火を願い、講を組織して参拝することが多かったようだ。また、盆山の時期は、決算の支払時期なので、借金逃れで大山に参拝するという輩がいたそうだ。そんな面白い記録もある。
 大山詣では、江戸中期が最も盛んだったようだ。江戸庶民には、参拝は表向きで、男たちには、羽目を外して楽しめるという側面があったようだ。だから女人禁制で、男だけの大山講になっている。こんな川柳がある。
 「不動から上は金玉ばかりなり」、不動とは、阿夫利神社を降った所にある「雨降山大山寺」のことで、大山不動の名で知られているが、ここから上は女人禁制である。
 「怖い者なし藤沢へ出ると買い」、東海道藤沢宿は、江の島弁財天に詣でる人々、大山に向かう人達で賑わっていた。当然、郭もある。
 「大山詣り」という落語がある。長屋の講中で大家を先達にして大山詣りに行くことになった。酒癖の悪い熊五郎、一人江戸に置いて行かれるなんて心外で、大家の吉兵衛に頼み込んで同行を許された。無事に大山詣では済ましたものの、帰りの保土ヶ谷宿で熊五郎さん、酒の勢いで大喧嘩の立ち回り。怒った仲間が、暴れ疲れて熟睡している熊五郎の頭をくりくり坊主に剃ってしまった。
 翌朝、熊五郎が寝覚めたときには、とっくに仲間は宿を発っていた。「ひでぇことをしやがる」と、頭にきた熊五郎は、駕籠を仕立てて仲間を追い越し、一足先に長屋に着くと、かみさん連中を集めて、「残念だが、おまえさん方の亭主は、二度と再び帰っちゃこねえよ。お山の帰りに金沢八景を見物しようとなって船で沖に出たものの、南風にあおられて船は難破、自分一人は助かった。おめおめ帰れるもんじゃないが、せめて江戸で待ってるおまえさん方に知らせなければと思って、頭を丸め恥を忍んで帰ってきた。菩提を弔うために出家する。」と、云ったものだから、かみさん連中は信じ込んで一斉にワンワン泣き出してしまった。
 そこで熊五郎、「それほど亭主が恋しけりゃ、尼さんになって回向するのが一番だ。」と、かみさん連中を丸めこみ、とうとう女どもを一人残らず丸坊主にしてしまった・・・、と云う噺。
 長屋に戻った連中は、熊五郎の仕返しと知って怒り心頭。そこで大家の吉兵衛の科白で、「まあまあ、お山は晴天、みんな無事で、お毛が(怪我)なくって、おめでたい」が、落ちになっている。
 写真は浮世絵師、歌川国芳が描いた「大山詣で高輪の図」である。江戸高輪に集まり、これから旅立つ大山講の人々を描いている。これほどに、大山詣では江戸庶民の暮しに根付いた行事だったのだ。 (2012年10月18日 記)
          


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