歩いて来た寺院で、初めて寺の名称がついていた。院と寺の違いについては冒頭文の中で触れたが、今では極めて曖昧になっている。長延寺もマンション寺院だった。入口のコンクリート塀に幅15cm、高さ40cmほどの表札が埋め込まれていた。正面に鉄製の門扉があり、真言宗豊山派の輪違い紋が鋳込まれていて、何となく「あぁ、お寺なんだな」、という雰囲気にはなる。イメージしているお寺の山門とは全く異なるし、門扉の左側にある通用門をあけて、人気の無いマンションに恐る恐る入って行くといった按配だ。
本堂は鉄製の柵が廻らされている先にあって半地下になっている。鉄柵の手前で般若心経を唱えるべきか、下へ降りて唱えるべきか一瞬迷った。人の気配が全く感じられないマンションの前でウロウロしている自分の行動はどこか可笑しい。空き巣が侵入口を探しているように見えるだろう。
縁起によると、開創は延宝年間(1673〜80)で、その後は第65番大聖院と同じ経過を辿って、三田寺町に移って来ている。
長延寺の本堂には漆喰の「こて絵」があるという。「こて」は漢字で「鏝」と書く。左官職人が漆喰の壁を塗る「こて」で絵を描いたもので、漆喰装飾の一つの技法である。こて絵が流行ったのは、江戸中期から明治にかけてであり、長延寺のこて絵は今泉善吉なる左官職人の作品だといわれている。
「こて絵」を見たいという衝動に駆られたが、事前の連絡もせず、突然長延寺の呼び鈴を鳴らすのは憚れる。突然の訪問者では、本堂のこて絵を見ることは出来ない。作品は、『龍図』と『俵藤太』の二点だそうで、写真で見る『俵藤太』のこて絵は躍動感がある。今では、こて絵の技法はほとんど廃れてしまったが、近年、建築の分野で、その芸術性も含めて再評価の機運が高まっているようだ。今泉善吉の墓は長延寺にある。
僅か五箇寺を歩いて来ただけだが、お遍路に開かれた四国八十八箇所霊場と、御符内八十八箇所霊場とは、同じお遍路でも全く異質な世界に感じる。
般若心経を唱えていても、心に重く沈み込んでくるような反応が湧き上がってこない。この違いはなんだろう。追々に納得できる回答が整理できるだろうと思う。 (2011年7月16日 記)
|