第40番普門院(ふもんいん)

     山号 福聚山(ふくし゜ゅさん)
     住所 江東区亀戸3-43-3
     参詣 2011年11月21日
 
伊藤左千夫の墓と刻まれた門前の石柱

 東覚寺から蔵前通りに出て、明治通りを横断して200mも歩く。右折して住宅街に入ると、樹木が生い茂った一角が眼に留まる。普門院である。亀戸七福神の毘沙門天の御堂がある。
 うぅ〜ん、どこかが違う。なんだろうこの雰囲気は。先ほどお参りした東覚寺は真新しく整備されていた。普門院の境内は、自然のままに樹木が鬱蒼としている。マンション寺院やビジネスビル寺院、お金をかけて拵えた寺院とは明らかに異なる雰囲気であり、その限りでは下町の騒音とかけ離れた安堵感のようなものは感じることは出来る。
 それにしても、参道脇には、手入れが行き届いていない植木鉢が何十個も転がっている。工事の廃材が置かれている。本堂に続く階段にはブルーシートが敷かれ、本堂の窓ガラスは割れている。庫裡と思われる建物からは人の気配がするので、まさか、廃寺ということではないだろう。
 毘沙門堂の先に、「野菊の墓」の作者で、歌人として知られた伊藤左千夫の歌碑がある。生い茂った樹木に邪魔されて読み取ることが出来ない。歌碑には、「牛飼いがうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起こる」と刻まれているとのことだ。左千夫は牛乳搾取業を営み、墨田区江東橋三丁目辺りに住んでいた。
 山門の左側には、「伊藤左千夫の墓」と刻まれた石碑があり、通りから良く見える位置にある。周りの整備が行き届いていないから、目に留める人も居ないのではないか。残念である。
 昨今は、寺院の運営について何かと話題に上ることが多い。少子化や、過疎化、核家族化などによる檀信徒の減少、宗教離れや新興宗教への流失、寺院の後継者の不足、特に寺院資産の維持管理に多額の費用がかかることが重要な課題になっているようだ。社会と生活の変容は急激で、昔からの檀徒頼みの運営では間に合わなくなってきている。
 葬儀を行うだけの寺院というものは、これからは必要がなくなるだろう。また、都市部では逆に葬儀だけの寺院に変化していくかもしれない。マンションや賃貸オフィスの経営、保育園や福祉施設を併設して、収入確保の道を探らざるを得ないのだ。
 手入れの行き届いていない普門院を見たら、余計なことを考えてしまった。ちょっと僭越だったかも知れない。普門院さんには謹んで、お詫びを申し上げる。 (2012年1月9日 記)
 
 


第73番 東覚寺←                 →第46番 弥勒寺

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その4端書きへ


烏森同人のtop頁へ