第65番大聖院(だいしょういん)

     山号 明王山(みょうおうざん)
     住所 港区三田4-1-27
     参詣 2011年6月15日
 
 
 桜田通りに出て、慶応義塾大学の方向へ向かって僅かな距離にある。だけど、これまた、そう簡単には見つからない。住居表示を頼りに間違いなくこの辺りだと見当は着けてはいるものの、行ったり来たりを繰り返す。どうも行き過ぎたようだと思い、後戻りをしていたら見つかった。
 ビルとビルの間に築地塀があり、大聖院の表札が埋め込まれていた。表札プレートは大きめだが歩いてきた方角とは反対向きになっていたので、見過ごしてしまったのだ。それに、私の頭には寺院を探しているのだから、山門があって本堂があるというイメージが定着している。大聖院のようなマンション寺院には出くわしたのは初めてだ。これはでは分らない筈だ。市街地の再開発で道の端に追いやられ、尚且つ限られた檀家の中で寺院としての歴史を伝え、生き延びていくには、マンションを併設するというのも、やむを得ないご時勢なのであろう。
 桜田通りから56m奥まったところに本堂らしき玄関があり、恒例に従って般若心経を唱えていたら、直ぐ脇にあるマンションの窓際に、怪訝な表情をした男性の姿があった。これじゃ、まったく様にならない。
 それでも玄関脇の仄暗い一角に、煩悩を焼き尽くすという燃え盛る火炎を背負った不動明王と、その右脇に立像の石仏、左脇に坐像の僧侶の合唱している姿の石像が置かれている。やっと寺院にいるんだという気分になってきた。なれど、御本尊様は大日如来だが、なぜ不動明王の立像が置かれているのだろう。山号が明王山なので、明王に因む寺院なのだろうと云う想像はつく。大聖寺には、弘法大師の作と伝えられる不動明王が安置されているそうだ。
 明王は、仏様の位で言ったら、如来、菩薩に次ぐ仏格を持っている。如来様の教えに従わない輩を調伏し、救済する使命を帯びていて、憤怒の形相で現れる。明王には不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、孔雀明王などがあるが、孔雀明王を例外として、他の明王様は怒髪天を向き、憤怒の形相が共通している。
 縁起によると、開基は宥専和尚で、慶長年間(15961615)の初めに、数寄屋橋あたりに創建されたという。慶長16年(1611)に八丁堀の寺町に移転し、さらに寛永12年(1635)に現在地に移ってきたと書かれている。 (2011年7月5日 記)
 



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