第66番東覚寺(とうがくじ)

      山号 白龍山(はくりゅうざん)
      住所 北区田端2-7-3
      参詣 2012年4月9日
 
赤紙が貼り付けられた仁王尊

 
 江戸の御府内に広まった七福神詣での中で、最も古い歴史を持っているのが谷中七福神である。東覚寺には、その内の福禄寿が祀られている。
 もう、10年以上も前のことになろうか、元旦に友人と谷中七福神をお参りしたことがある。この時は広い通りから、目立たない案内標識に従って、小路に入って行った様な気がするが、今日は違った。まだ開通はしていなかったが、広い通りが整備されていて、遠目にも東覚寺と分る赤紙仁王尊の姿が映った。東覚寺の場所は変っていないようだが、区画整理によって境内の一部が削られてしまったのか、佇まいの全てが新しく整備されていた。
 縁起によると、室町時代の延徳3年(1491)神田橋、今の千代田区万世橋付近に創建され、のちに根岸 (台東区)に移り、慶長(1596〜1615)の初めの頃、田端の現在地に移転してきたという。『新編武蔵風土記稿』には「與楽寺末白龍山壽命院と號す、寺領七石の御朱印を附せらる、本尊不動は弘法大師の作なり」とある。
 遠くからでも目立つ赤紙不動だが、その姿は何とも異様だ。身の丈二メートルはあろうかと思われる石仏の像なのだが、その姿は全く見えない。赤い紙が、頭の天辺から爪先まで隙間なく貼り付けられている。お寺で求める病気平癒の赤紙を、自分の患部と同じ場所に貼り付けて治癒を願うという信仰からである。赤紙は、悪魔を焼除する火の色を表しているそうだ。
 赤紙が張られて姿の分らない仁王尊は、右手説明板にある赤紙仁王尊の写真で想像するしかない。向って右側が「阿像」で、左側が「吽像」である。阿像は口を大きく開いて息を吸い込んでいる状態で「動」を表し、吽像は口をしっかりと閉じて息を止めている状態で「静」を表す。即ち、密教で説く胎蔵界と金剛界を表し、宇宙一切の初めと終わりを表している。俗っぽく解釈すると、この世に生を受けたとき「ア」と声をあげ、あの世に去っていくときに「ウン」と声を閉じる。人生の初めと終わりを表していると思えばよい。
 若かりし頃、上京して僅かの期間だが、タクシーの運転手をしていたことがある。車庫が近くにあって、田端駅の構内から乗客を乗せ、この界隈を行き来した事を思い出した。いまでも、何処かくぐもった苦さの残る思い出なのだ。遠い記憶である。

 


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