第45番観蔵院(かんぞういん)

      山号 広幡山(こうばんざん)
      住所 台東区元浅草3-18-5
      参詣 2012年1月18日
 
観蔵院の山門

 
 お寺という雰囲気はまるで無い。豪邸だ。「観蔵院」と書かれた大きな表札が、コンクリート塀に埋め込まれているから、お寺だと云うことが分る。山門ではなくて、邸宅の門を潜ると正面が格子戸になっていて本堂がある。
 縁起によれば、慶長16年(1611)証円上人によって開創されたという。当初は神田橋のあたりか、中野屋敷と呼ばれたところにあったそうだが、詳しいことは分らないという。正保元年(1644)に現在地に移ってきたようだ。
 四国お遍路で辿ったお寺には共通した佇まいがあった。そこには、規模の大小はあれ、山門には形式美があり、参道には厳かな雰囲気が醸し出されている。その時の事情によって例外はあるものの、本堂に安置された仏様には、お目にかかることが出来る。だから、般若心経を唱えるにも、心が張りつめ、敬虔な気持になれる。
 これまでに歩いてきた東京のお寺には、そんな雰囲気を感じさせてくれる寺院が少ない。関東大震災、東京大空襲、戦後の大規模開発や、繰り返される都市の再開発などに翻弄され続けた背景があることは理解できる。これが東京に立地する寺院にとって、止むを得ない現実なのだろう。それにしても、観蔵院の山門には自分の美意識が裏切られたようで、寂しい思いがする。
 山門は仏教寺院の正門である。本来は「三門」が正しいようだ。空門、無相門、無願門の三境地を経て仏国土に至る門、即ち三解脱門とされているからだそうだ。難しいことは分らない。寺院は仏徒が修行する場所であり、そこは厳しい自然環境の山中であった。山の中に建立された修行所なので山号を付けていた。そんなことから山の中にある門、つまり山門の名が起こったのだろうと単純に解釈していた。
 一方、建築史から見ると、古い寺院の門構えには、正門があって左右に副門がある。これを称して三門と呼んだと云う説がある。時代が下がると共に正門が大門に形を変え、左右の門は脇門として通用門のような形に変わっていった。さらに時代が下がると、大門を残すのみとなったが、三門の呼び方はそのまま残っているのだと云う。
 豪邸の前で般若心経を唱えるには勇気が要る。止めた。ただ、目を閉じて手を合わせるのみだ。
 (2012年2月22日 記)
                           
 


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