第53番自性院(じしょういん)

      山号 本覚山(ほんがくさん)
      住所 台東区谷中6-2-8
      参詣 2012年2月27日
 
「愛染寺」と書かれた本堂の扁額

 
 自性院の左側門柱には愛染寺、右の門柱には自性院と彫られている。門前の植え込みには「愛染明王安置」と刻んだ標石があるし、本堂に揚げられた扁額には愛染寺と書かれている。自性院か愛染寺なのか・・・、どうも由緒ある寺院は、院号と寺号の両方を名乗っているみたいで、「端書・その1」でも触れたけど、院と寺の区分が、ますます曖昧になってきた。
 門前に「愛染堂・愛染かつらゆかりの地」とかかれた台東区教育委員会が建てた説明板があった。そこには、「自性院は、慶長16年(1611)に神田に創建、慶安元年(1648)現在地に移った古寺である。当院は、愛染堂に安置した愛染明王像で知られ、江戸文化が花開いたといわれる文化文政の頃(1804〜30)になると、その名は近在まで広がったと伝えられる。江戸時代中期頃から別名を俗に愛染寺といわれた由縁である。愛染明王は、寺伝によれば、元文年間(1736〜41)第九世貫海上人が境内の楠を切り彫刻した。像高一メートル、像内には、貫海上人が高野山参詣のとき、奥院路上で拾得した小さな愛染明王が納められていると伝えられている。愛染明王は、特に縁結び、家庭円満の対象として信仰されている。昭和のはじめ、文豪川口松太郎の名作『愛染かつら』は、当院の愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だといわれる。」と、書かれていた。
 愛染明王はサンスクリット語で、「ラーガラージャ」と呼ばれ、「ラーガ」とは赤、愛欲を意味するインドの古代神である。赤い日輪を表す後背を背にして、蓮華座に坐り、6本の腕をもつ一面三目六臂像が一般的だ。身体は愛欲を表すという赤色に染められている。また、左手に弓矢を持っているところから、ギリシャ神話のキューピットや、愛の神エロスと同じルーツだという説があり、恋愛成就の御利益があると云う。本来は、愛欲の束縛から逃れ、仏の悟りに変えてくれる仏様であると解釈すべきだろう。
 川口松太郎の作品「愛染かつら」は昭和12年から13年(1937〜1938)にかけて、雑誌「婦人倶楽部」に連載されたものである。連載中から評判を呼び、1938年には、田中絹代、上原謙の主演で映画化されている。私が、この世に生を受けた頃だ。なのに、なぜか主題歌、「旅の夜風」のメロディと、1番の歌詞だけは、今でもはっきりと覚えている。《花も嵐も踏み越えて、往くが男の生きる道、泣いてくれるな、ほろほろ鳥よ、月の比叡を独り行く》と、云うやつだ。周りの大人達が歌っていたのを覚えたのだろうが、幼かった私が覚えている位だから、一世を風靡した「愛染かつら」だったに違いない。 (2012年3月7日 記)

 


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