第20番鏡照院(きょうしょういん)

     山号 身代山(みがわりさん)
     住所 港区西新橋3-14-3
     参詣 2011年6月15日
 
鏡照院とお稲荷さんの祠
 
 

 愛宕山を下り、愛宕通りを横断して新橋に向って歩く。時間は午後2時に近いのだが、ランチタイムの看板を見つけ、昼食をとることにした。ビジネス街だし、もう少し時間が早ければ、サラリーマンで混雑しただろうが、私以外にお客はいない。テーブルの上に地図を開いて、歩いて来た道筋をなぞりながら、のんびりとした時間を過ごし、疲れてきた足を休めた。
 番地表示を頼りに裏通りに入っていったのだが、似通った町並みが碁盤の目のように続いていて、同じところぐるぐると回っていたようだ。ビジネス街なので、ビルが立て込んでいて、お寺らしき樹木の茂みは見当たらない。ビジネスマン風の通行人に尋ねてみたが、全く分らないと言う。
 山門があって、樹木の茂みの中に本堂がある、という先入観がいけなかった。マンション寺院や、堂々たるオフィスビルの寺院を見て歩いてきたのだから、こんな先入観を断ち切るべきだったのだ。なんと、鏡照院は三階建てビルの一階にあって、目立ちようが無い。ビジネスビルの町並みに溶け込んでいる。見つからないわけだ。
 それに、脇の僅かなスペースにお稲荷さんの小さな祠がある。そりゃ、お稲荷さんは目印にはなるだろうが、まさか寺院とお稲荷さんが同居しているとは思っても見ない。人通りが少ないとはいえ、通りの傍に立って般若心経を唱えるには気が引ける。それにしても、何でお稲荷さんと同居しているんだろう。
 とは言え、鏡照院は徳川家康の念持仏とされる将軍地蔵尊を祀る由緒あるお寺で、先の真福寺と同じく愛宕神社の創建に伴って、愛宕山下に置かれた真言寺院「愛宕下六院」の一つである。 縁起によれば、応永6年(1399)、常陸国の海上に出現した「身代不動明王」を、笠間の地にあった鏡照院に祀っていたが、慶長8年(1603)、当時の住職であった宥俊阿闍梨が、この明王像を江戸に移し、改めて愛宕下に鏡照院を開いたという。この不動明王は、あらゆる災厄に際して身代わりに立って下さるという、有り難い仏様で、将軍家をはじめ、諸大名からの信仰を得たという。
 今日の遍路は、これで終わりにする予定で出掛けてきたのだか、時間もまだ十分に残しており第75番の赤坂不動に向った。これは間違っていた。一筆書きのお遍路を目指すのなら、ここで深川の、第37番萬徳院に向うべきだった。  (2011年8月2日 記)

 

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