第83番蓮乗院(れんじょういん)

      山号 放光山(ほうこうさん)
      住所 新宿区若葉2-8-6
      参詣 2011年9月20日
 
静かな蓮乗院
 所番地からすると、 愛染院と蓮乗院は隣合わせであってもおかしくないのだが、探せども探せども一向に見つからない。東福坂を上がったり下ったり、若二商店街を行ったり来たりしている。
 黒のスーツ姿で何かをメモしたA4版の紙を睨みながら、若い女性が私と同じように行ったり来たりしていた。やはり何処かを探しているようだ。リクルート・ルックの様にも見えるので、会社を探しているのかもしれない。でも、このあたりは寺町で住宅街だし、会社らしい建物は無い。それにしては時間が遅すぎる。何かの調査をしているのだろう。擦れ違ったときに怪訝な顔をして私を見ていたが、私だって怪訝な顔をしていただろうと思う。
 東福坂から一つ手前の観音坂を上って行った。先ほどお参りした真成院を通り過ぎたが、蓮乗院は見当たらない。番地の表示を確認しながら後戻りして観音坂を下って行ったら、何のことはない、蓮乗院は、あの賑々しい真成院の隣に目立たない様に静かに小さく建っていた。普通の民家と変らない。裏手がやや高くなっていて、その向うに愛染院があり、所番地は隣りあわせで繋がっているが、道は繋がっていないから、ぐるりと逆コの字型に回らなければ辿り着かないのだ。
 門前の左側に朱色で「南無大師遍照金剛」と彫られた石柱が建っている。閉ざされた門塀を開けるのは、無人の民家へ侵入するようで、何となく憚れる。雨に濡れながら門の前に立って、ブツブツと般若心経を唱えて来た。
 蓮乗院の向かい側に、服部半蔵が創建した西念寺がある。西念寺は徳川家康の長男信康が、織田信長に切腹を命じられ、後年になって菩提を弔うために半蔵が創建したのだそうだ。半蔵の墓と信康の供養塔が建っているとのこと。半蔵は徳川家康の家臣で、伊賀者の頭であったことは、講談や小説に登場する人物として誰もが知っている。
 皇居の西端に半蔵門があり、麹町一丁目界隈には半蔵門の名を冠した病院や会館がある。地下鉄にも半蔵門線の名称がついている。半蔵門の名は服部半蔵親子(服部正成・正就)が、配下の与力、同心と共に四谷へと通じる甲州街道沿いを組屋敷で固め、非常時に備えて江戸城を警固したことに由来するという。
 (2011年10月24日 記)
 


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