第56番与楽寺(よらくじ)

      山号 宝珠山(ほうじゅざん)
      住所 北区田端1-25-1
      参詣 2012年4月9日
 
掃き清められた与楽寺の境内

 
 与楽坂を下ると左手に与楽寺がある。坂の途中に、北区教育委員会が立てた標識があり、「坂の名は、坂下にある与楽寺に由来します。『東京府村誌』に、与楽寺の北西にあり、南に下る。長さ二十五間広さ一間三尺と記されています。この坂の近くに画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。芥川龍之介は、書簡の中に「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂いがする」と書いています。」と、記されていた。田端界隈には芥川龍之介のほかに、菊池寛、堀辰雄、室生犀星、萩原朔太郎らが居を構え、文士村が生れた。田端駅前のビルの中に田端文士村記念館がある。
 道路わき左手の植え込みに、「寶珠山與楽寺」と彫られた大きな石柱が立っていた。広い境内には、手入れの行き届いた植栽があり、掃き清められて、一葉の落葉も無い。櫻の大木が、咲き誇る花弁の塊を抱えるようにして、どっしりと起っている。
 与楽寺には、「賊除けの地蔵」という伝承がある。『新編武蔵風土記稿』に、「與楽寺」の項に次のような記述を見つけた。「新義真言宗京都仁和寺末、寶珠山地蔵院と號す、慶安元年八月二十四日寺領二十石の御朱印を賜ふ、本尊地蔵は弘法大師の作なり、昔當寺へ或夜賊押入し時いつくともなく数多の僧出て賊を防き遂に追退きたり、翌朝本尊の足泥に汚れありしかは、是より賊除きの地蔵と號すと傅ふ、開山を秀栄と云・・・以下、略・・・」
 門前の植え込みに、御府内八十八箇所の標石と、西国写観音巡礼の標石、六阿弥陀第四番與楽寺と彫られた標石の三基が建っていた。西国写しの標石には、「西国廿一番丹波国あのう寺写」と読める銘文が刻まれている。あのう寺は穴太寺で、「あなおうじ」と読むのが正しい。西国三十三霊場を巡礼した折の納経帳を開いてみたら、平成11年5月にお参りしていた。山陰本線の亀岡駅で下車して、長閑な田園地帯を歩いた記憶が蘇ってくる。
 般若心経を唱え終わり、櫻の大木を暫し眺め、与楽寺を後にした。与楽寺門前の広い範囲で工事が行われていた。場所柄、大型ショッピングセンターではないだろう。大型のマンションが建設されるのかもしれない。基礎工事の真っ只中で、一般道に出るまでには、工事現場の誘導員が持っている赤い指示棒に従わなければならなかった。 (2012年4月18日 記)

 


第64番 加納院←                 →第66番 東覚寺

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その7端書きへ


烏森同人のtop頁へ