第48番禅定院(ぜんじょういん)

      山号 瑠璃光山(るりこうざん)
      住所 中野区沼袋2-28-2
      参詣 2012年7月2日
 

山門と銀杏の巨木
   
 
 西武新宿線、沼袋駅の踏切を渡って直ぐ右に折れると、駅の北側から斜めに向かって伸びる商店街がある。商店街と云えるほどの賑わいはないが、街灯には「栄通睦会」と彫られた文字が読める。かつては禅定院の門前町であったのだろう。通りを抜けると禅定院の山門に突き当たる。
 創建は南北朝時代の貞治元年(1362)と伝えられる。これは、創建当時から室町時代にかけての記録が、発掘された板碑(石を板状に加工して文字を刻んだ碑)に残されていたことから、裏付けされているそうだ。
 昭和20年(1945)の東京大空襲で、山門以外は焼失し、今の本堂は、昭和44年(1969)に再建されたとのこと。山門の扉には、空襲の炎による焦げ跡が残っているそうだが、説明がなければ分からない。境内には空襲に耐えた銀杏の巨木が聳えている。樹齢は600年を超えていると云う。
 禅定院のある沼袋は池袋に近い。沼と池の違いはあるが、両地名には共通した地形が背景にある。『新編武蔵風土記稿』、「池袋村」の項に「池袋村は地高して東北の方のみ水田あり、其邊地窪にして地形袋の如くなれば村名起りしならん・・・略・・・、」とある。池袋は、もともと地形が台地に囲まれた袋状であって、水はけの悪い湿地帯であったようだ。降雨の度に遊水池となり、水が引くと池が残るという地形であったのだろう。
 沼袋の東側を流れる妙正寺川は、松が丘に沿って北上し、新青梅街道に突き当たると、こんどは大きく流路を変えて南下する。また、新青梅街道で北から流れてきた江古田川と合流しているが、この江古田川も、江古田3丁目を大きく迂回して北上し、こんどは江古田公園に沿って南下している。これらの流路から分るのは、沼袋も、明らかに台地に囲まれた袋状の低地であり、降雨の度に遊水地になり、沼が点在した場所だ、と云えることだ。
 「袋」には、「川と川が合流したところ」という意味もある。2011年1月27日にNHKで放送されたブラタモリでは、池袋村を流れていた川が合流する北東部付近が、地名発祥に関わった地形ではなかったのか、と推測していた。
 本堂の扉が50センチほど開かれていて、御本尊を拝むことができた。これはご住職の心遣いなのか。深呼吸をして、心を静かに落着ける。これからの人生、平穏無事を祈念しながら般若心経を唱える。
  (2012年8月11日 記)
               
 
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