第38番金乗院(こんじょういん) 山号 神霊山(しんれいざん) 住所 豊島区高田2-12-3 参詣 2012年5月5日 |
金乗院山門、左手に新長谷寺と彫られた石柱がある門
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新編武蔵風土記稿に、「新義真言宗多磨郡中野村寶泉寺末、神霊山観音院と号す、本尊正観音長一寸八分毘首羯摩作開山永順文禄三年六月四日寂、」と、記されている。つまり、創建の年代はわからないが、開基は永順法印で、文禄3年(1594)に没しているので、それ以前に創建されたことは確かだ。本尊の聖観世音菩薩は一寸八分、つまり背丈が六センチに満たない小さな仏様だ。この秘仏の作者は「毘首羯摩(びしゅかつま)」と書かれているが、この難しい姓名を持つ人物の素性が、よく分からない。なんでも、帝釈天の弟子とされていて、伝説上の人物のようだ。仏師の開祖ともされ、「毘首羯摩の作」と伝えられる仏像は、全国各地にあるようだ。
本堂は平成15年に全面改修されたとのことで、真新しく、古色蒼然という古寺のイメージはないが、そのぶん、掃き清められて清々しさが感じられる。本堂の前に、剣に龍が巻き付いた図柄が彫られた庚申塔がある。倶利伽羅不動庚申と書かれた標識が建っていなければ、庚申塔だとは分からない。先ほど歩いてきた根生院の山門脇にも庚申塔があったが、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が彫られていて、これが一般的な庚申塔である。金乗院の庚申塔は珍しいものだ。豊島区教育委員会が立てた説明板によると、寛文6年(1666)の造立だという。境内には寛政12年(1800)に造立されたという鍔塚もあるが、説明板がないので詳しいことはわからないが、刀剣の供養塔であろう。 墓地には青柳文蔵と丸橋忠弥の墓があった。青柳文蔵の墓前で、熟年男性二人連れが会話を交わしていたので、先に丸橋忠弥の墓に足を向けた。道順を示す案内札が建っている。帰りに青柳文蔵の墓にお参りする積りだったのだが、先ほどの男性二人の会話が続いていた。様子からして一般の参詣客ではない。歴史研究家なのか、金乗院の関係者なのか。はたまた、青柳文蔵ゆかりの人達なのか…。そのうち、二人の読経が始まった。邪魔になってはいけないので、青柳文蔵のお墓参りは止めて、境内に下りて行った。 青柳文蔵(1761〜1839)は仙台藩の生まれで、藩に書籍を寄贈し、日本初の公開図書館(青柳文庫と呼ばれる)を作った人物である。丸橋忠弥(?〜1651)は槍術の達人で、由井正雪と謀って幕府転覆を企み、捕われたのち、鈴ヶ森で磔の刑に処せられている。歌舞伎や講談でお馴染みの人物である。 般若心経を唱え終えたら、先ほどの男性二人組が下りてきたので、軽く会釈を交わした。 (2012年6月28日 記) |
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