東京お遍路 その3 千駄ヶ谷、恵比寿、大崎、大井、南馬込まで。

 
歩いた日は、2011年10月20日。
 前回歩き終えた四谷駅を出発して、千駄ヶ谷から神宮前、青山学院の脇を抜けて恵比寿へ向う。渋谷区の東部に位置するこの町域は、青山通りや明治通り沿い、恵比寿駅に近い場所は商業ビルが立ち並ぶが、メイン通りを逸れると高級住宅街になっている。道沿いには、私の暮らしには馴染みの薄い洒落た雰囲気の店が、あっちこっちにある。北欧のインテリア用品専門店であったり、高価な模型が並ぶ店であったり、瀟洒な茶房であったりして、ドアーを開けるのが憚れるような雰囲気の店ばかりだ。
 恵比寿からは、ほぼ山手線に沿うようにして、目黒、五反田まで歩き、五反田からは山手通りを経て大崎に向う。いつもは山手線の電車の中から眺めている見慣れた風景なのだが、車窓から眺めていたビルディングを反対側から眺めたり、近くに寄って仰いで見ると、あべこべに眺める「股のぞき」のような新鮮な感覚がある。
 山手通りは、大崎駅手前で陸橋になっていて、JR山手線の内側に入る。ここからのJR山手線は大崎駅を過ぎて左に大きくカーブし品川駅に向っている。主要な道路である筈の山手通りなのだが、JRの路線に行く手を遮られ左に、右に方向を変えながら、再び山手線の外側に出て、並行して走る新幹線、横須賀線のガードを潜る。その先では東海道本線と京浜東北線のガードを潜る。少し先には京浜急行が走っていて、新馬場駅の手前で第一京浜国道と交差している。
 この間2kmにも満たない僅かな距離だが、都心への入口である品川駅に向かってひしめき合い、集中する鉄道路線が、途轍もない巨大なエネルギーを運ぶ生き物のように思える。ガード下に立っていると、都心に向ってなだれ込んで行く電車の轟音は、目まぐるしく変化する大都会を支える雄叫びのようだ。
 新馬場駅の手前で右折して、第一京浜に入り南下する。東大井の来福寺を経て、池上通りに入り南馬込の長遠寺を目指したのだが、地図に印したマーカーの場所が違っていて、池上本門寺の近くまで歩いてしまった。行き過ぎて後戻りする羽目になったのだか、この間2km程は無駄な歩きをしただろう。
 池上4丁目の住居表示を見て、初めて行き過ぎていることに気が付いた。400mほど後戻りして、凡その見当をつけて左折した。閑静な町並みである。起伏に富んだ道が続いていて、蓬莱坂と書かれた標柱があったので、地図と確認したが、その先の道筋がはっきりしない。交番の前に立っていたお巡りさんに、「此の先真っ直ぐ歩いたら、南馬込に行き着けるのか」と尋ねたら、笑顔で、「そうですよ」と、返してくれた。 桜並木通りを歩いた。大正末期から昭和初期にかけては、この一帯は武蔵野の面影を色濃く残した、静かな田園地帯が広がっていたという。往時は多くの文士や芸術家が住んでいたようで、毎年4月上旬には、「馬込文士村大桜まつり」というイベントが開催されている。
 久しぶりに長い距離を歩いた。老いを感じる昨今だが、まだまだ脚力が残っていることに安堵した。
 
その3の目次

第10番聖輪寺
第9番龍巌寺   
第7番室泉寺   
第4番高福院   
第26番来福寺
第8番長遠寺

ちょっと寄り道。
馬込文士村の住人達




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