第8番長遠寺(ちょうおんじ)

     山号 海岳山(かいがくさん)
     住所 大田区南馬込5-2-10
     参詣 2011年10月20日
 
江戸時代の石仏

 道に迷って、2qも遠回りをしてしまった。長遠寺は南馬込の5丁目にあるのだが、地図にマークした位置が、隣町の5丁目になっていた。回り道をしたおかげで、南馬込の桜並木の位置を知ることとなった。毎年四月には春の名物、「馬込文士村大桜祭り」が開催されている。今年は大震災後の自粛ムードもあってか、開かれなかったと聞いた。
 行き過ぎてしまったので、第二京浜を後戻りする羽目になる。長遠寺は第二京浜脇の高台にあって、地図で場所を確認しながら、バス通りに続く階段を上った。馬込八幡神社の角を曲がり、やっと長遠寺の門前に辿り着く。疲れた足には道中が長かった。
 寺伝によれば、開創は天仁元年(1108)と伝わっている。現在の本堂は文久元年(1861)に建てられたものだとのこと。一つ前に歩いて来た来福寺を含めて、末寺が9ヶ寺もあり、隣接する馬込八幡など12の社祠の別当寺を努めていたという。
 別当寺とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれたお寺のことである。神社の祭祀を仏式で行う僧侶を別当と呼んだことから、別当の居るお寺を別当寺と云った。別当とは、「別に当たる」という意味である。別に本職を持っていながら、他の職を兼務するということだろう。
別当寺が定着した背景には、日本人固有の精神構造があるように思える。神々の誕生、仏の渡来から定着、神仏の融合を柔軟に受けとめて信仰の対象としてきた。私がそうだからと言うつもりはないが、この一見して、優柔不断で主張の無い精神構造は、周囲への気配りや配慮の現れであり、日本人の優れた特性だと思っている。
日本人が考えていることは、曖昧模糊として何を考えているのか良く分らないという。全てがグローバル化していく現代社会において、そんな精神構造は全世界から孤立するだけだと説く人が多い。排他的な宗教戦争や民族間の争いが絶えない世界にあって、この日本人の柔軟で許容範囲の広さが、これからの時代、紛争を解決するに必要な精神構造だと、私は思っている。 
何十年後か、あるいは百年後には、この極東の島国が全世界の精神的な拠り所として、その存在を示すときがきっと来ると思っている。こんなことを言っても誰も聞いてくれないが、これは私の持論である。
境内には江戸時代の石仏が祀られていた。天保年間や万治年間のものがあり、子安地蔵や観音像などがある。 (2011年11月25日 記)
 
 


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