第34番三念寺(さんねんじ)

      山号 薬王山(やくおうざん)
      住所 文京区本郷2-15-6
      参詣 2012年4月9日
 
三念寺の玄関

 三念寺は壱岐坂を上り、坂上の手前を右折し、次の通りを左に折れた所にある。向かい側は、本郷給水場公苑になっている。二階建ての近代的なビルなので、注意しないと行き過ぎてしまう。入口は普通の民家で、ちょっと広めの玄関口といったところ。玄関右手に、黒御影石に薬王山三念寺と彫られた石柱が建っていた。二回の庇下に、薬王山と書かれた扁額が揚げられている。
 縁起によると、創建は古く、室町時代の文明4年(1472)で、今の千代田区五番町にある三年坂に開かれ、慶長8年(1603)、現在地に移転してきたそうだ。三年坂は、もともと「三念寺」の寺地だったので、「三念坂」が正しいのだそうだ。千代田区教育委員会が建てた標識には、その様に説明されている。 開祖は品隆上人とあるが、どのような地位にあった人物なのか分らない。室町時代といえば、都から遠く離れた草深い関東の地である。粗末な庵を結び、修行に余念の無かった人物像が浮んでくる。
 話を壱岐坂に戻す。大正12年(1923)の関東大震災復興事業に基づいて整備されたのが、今の壱岐坂である。壱岐坂の途中、左手にある東洋女子短大の脇から、本郷通りに向って上っているのが、旧壱岐坂であり、ここで分断された旧壱岐坂は、反対側の右手から、白山通りに向って下っている。
 旧壱岐坂について、文京区教育委員会が設置した標識には、次のように説明されている。「壱岐坂は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆえ名なりといふ。按に元和年中(1615〜1623)の本郷の図を見るに、此の坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし」(改撰江戸志) 御弓町については「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話)」
 小笠原壱岐守は、当時唐津6万石の大名であった。江戸切絵図を見ると、壱岐坂を「イキトノサカ」と書いている。つまり「壱岐殿坂」で、坂の名前に敬称を付けて呼んでいたのだ。素朴な江戸庶民の感覚が伝わって来るようで、何となく楽しい。
 普通の民家を訪ねるようで、玄関のボタンを押そうかどうか迷ってしまった。突然に訪問するのは、礼を失することになるのではなのか。止めた。通りで帽子をとり、頭を下げた。一階の玄関と、二階庇下の扁額を同じ画面で写真に納めようとしたが、焦点を合わせる距離が短くて駄目だった。給水場公苑に入って、高い場所からシャッターを押さなければ写せない。 (2012年5月2日 記)
 


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