第62番威光院(いこういん) 山号 鶴亭山(かくていざん) 住所 台東区寿2-6-8 参詣 2012年1月18日 |
威光院と書かれた張り紙
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威光院は、地図を見る限りでは不動院と隣り合わせになっている。それが見つからない。同じ道をぐるぐる廻っている。不動院の裏手に緑が茂っている一角があり、そこだろうと見当は付くのだが、入口が見つからないのだ。やっと探し当てたのは工事現場だった。
工事現場の塀に張り紙があった。A3大の白紙に威光院と書かれて貼り付けられていて、その下にA4大の張り紙があり、小さな字で、「威光院は本堂・客殿の新築工事を行っています。お墓へお参りの方は右側ゲートよりお入りください。御朱印をお求めの方、その他御用のある方は、現場内のプレハブ2階の事務所にて対応します。(平日のみ)」と書かれていた。 工事中の寺院に出会ったのは、両国の大徳院に続いて、これで二箇寺目だ。仮本堂も設えてない様だ。御朱印は頂戴しないことにしているので、そのまま次に向うことにした。 先ほど威光院を探しあぐねて立ち寄ったのが、直ぐ近くにある本法院だ。ブロックを積み重ねた様なコンクリート塀が続いていて、一つ一つのブロックに赤い文字で落語家や演芸場の名前が刻まれている。ははぁ〜ン、ここが「はなし塚」のあるお寺なのか、と思い出して境内に入り、説明版を読んでメモしてきた。そこには、「昭和16年の戦時下に、各種芸能団体は演題種目について自粛を強いられた。落語界では、艶っぽい廓噺や間男の話など53種を禁演落語とし、この塚に台本等が納められた。塚には従来納めたものに替え、戦時中の台本などが納められている」と、書かれていた。最後の一行は、少し説明が必要だ。 戦後の昭和21年9月、塚の前で禁演落語復活祭が行われた。ところが、昭和22年5月には戦時中の台本で、軍国主義的な内容のものを中心とした27種が、GHQの指示に応じて、「はなし塚」に納められた。その後、昭和28年には占領体制が終了し、自然の流れとして禁演は解かれたのだが、戦後の世代には受け入れられる台本ではなかったようだ。 威光院では般若心経を唱える場所がない。手を合わせることもなく、通り過ぎることになった。何時の日か本堂が完成した暁には、再び訪れる機会があるだろう。いや、ないかも知れんなぁ。 (2012年1月29日 記) |
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