第85番観音寺(かんのんじ)

      山号 大悲山(だいひざん)
      住所 新宿区高田馬場3-37-26
      参詣 2012年7月2日
 
ダークグリーンで縁取られた山門と本堂

 神田川の畔に整備された遊歩道を歩き、途中で左に逸れて観音寺の裏手に出た。観音寺の塀に沿って坂道を上り、右に折れると、観音寺の正面に出る。
 塀から本堂に至るまで、淡いグリーンに塗られ、ダークグリーンで縁どられている。いわゆる寺院のイメージとは異なる。東京お遍路、ここまでに、いろいろな寺院を見てきたから、もう驚かない。どこか団体の宿泊兼研修センターの様にも見える。山門左手に観自在菩薩、右手に地蔵菩薩の像が建っているので、寺院であることが分かる。この本堂は、昭和59年(1984)に再建されたそうだ。
 新編武蔵風土記稿に、次のような記述が読める。
 「観音寺、新義真言宗、大塚護国寺末大慈悲蓮花院と号す、本尊正観音、開基はかんこう坊と云人にて、俗性中村氏、故ありて當所に来たり、草庵を営み、遂に一寺となせしと云、子孫外記は寛永のころ断絶す、・・・略・・・。」
 このことから、創建は江戸の初め、寛永(1624〜45)の頃であったと思われる。子孫断絶とあるところを見ると、この後、戸塚村の名主や里人によって護持されてきたものであろう。
 本堂の左に続く墓地に、作家吉川英治の揮毫になるという、「呼潮へんろ塚」がある。淡路呼潮という文人がいて、吉川英治との間に交流があったのだろう。吉川英治は、物故した呼潮を偲び、観音寺に揮毫を残したのだ。
 呼潮について調べたが、手元にある「新潮日本文学辞典」には載っていない。遍路と呼潮、吉川英治の関わりがさっぱりわからない。淡路呼潮の筆名からは、鳴門の渦潮を連想させる。吉川英治の作品には「鳴門秘帖」があり、四国お遍路は鳴門から始まる。ここらに何か繋がりが有りそうな気がしてならない。
 本堂の扉に手を掛けてみたが、開かない。般若心経を唱え始めたけど、事務所の玄関先でぶつぶつ独り言を喋っているようで、何だか気恥ずかしい気分になる。これでは様にならない。
 (2012年7月19日 記)
 


第36番 薬王院←                 →第24番 最勝寺


東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その9端書きへ


烏森同人のtop頁へ