第3番多聞院(たもんいん)

      山号 金剛山(こんごうさん)
      住所 世田谷区北烏山4-12-1
      参詣 2012年9月21日
          
 

多聞院の仏足跡
 

 環状八号線から甲州街道に入り、烏山と書かれた信号を右折して寺町通りを歩く。多聞院は高速道路を潜ると直ぐの右側で、寺町の取っ付きにあった。北烏山4丁目から5丁目にかけては寺院が立ち並び、通称烏山寺町と呼ばれている。大正12年(1923)の関東大震災で被害を受け、壊滅状態になった浅草、築地、本所などの22ヶ寺院が集団で移転してきたことから、この寺町が形成されたと云う。現在では、この界隈に26の寺院があるそうだ。
 多聞院は寛永年間(1624〜45)に四谷新町、今の西新宿1丁目に創建され、歴史を経てきた寺院である。『新編武蔵風土記稿』には、「新義真言宗、江戸大塚護国寺末金剛山慈願寺と号す、開山述譽は寛永五年五月寂す、開基は村内名主傳右衛門先祖興兵衛にて…略…」とある。昭和29年(1954)に、新宿駅周辺の区画整理によって現在地に移転して来たとのことで、移ってきた経緯は他の寺院とは異なる。
 境内に立派な石彫涅槃図の石碑がある。奈良・壺坂寺より寄贈されと記されている。壺坂寺には、長年の救ライ活動に対する感謝の意から、インド政府から高さ20メートル、重さ1200トンの大観音石造が寄贈されている。多聞院の石彫涅槃図の石碑は、多聞院と古くから人的交流のある壺坂寺が、特にインド政府に依頼して制作されたものだと云う。このへんの経緯は、脇に建っている石碑に詳しく刻んである。
 石造涅槃図に並んで仏足石がある。お釈迦様の足跡を石に刻んで信仰の対象としたものだ。古代インドでは仏像を制作するという習慣がなかったことから、仏足石で釈迦を表現したと云う。これまでに、いくつかの寺院で仏足石を見てきた。お釈迦様の足跡の紋様は、誠に恐れ多い例えだが、腰痛などのマッサージで、足のツボを示して解説している図表を思わせる。通常は千輻輪相(せんぷくりんそう)と云われる車輪状の紋様が刻まれ、周りに装飾が施されているが、さほど複雑な図柄ではない。
 多聞院の仏足石は、これまで見てきた仏足石とは大きく異なっていて、瞬間「あれっ、なんだこれは、」と、声に出してしまった。足の形が完全な長方形にデフォルメされていた。千輻輪が刻まれ、複雑な紋様で縁どられている。足跡の先端には左右それぞれに五つに区分された紋様があり、指を表現していることは分る。それにしても、一つ一つの紋様が何を表現しているのか、さっぱり分からない。
 墓地の入り口にある休憩所に座り、アンパンと牛乳で、遅い昼食をとった。これから調布に向かう。
  (2012年10月1日 記)
                
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