第39番真成院(しんじょういん) 

      山号 金鶏山(きんけいざん)
      住所 新宿区若葉2-7-8
      参詣 2011年9月20日
 
頑強なビルディング 真成院
 
 

 頑強なイメージを受ける3階建てのビルディングである。賑々しく、赤や紫色の幟がはためいていた。幟には赤地に白抜き文字で、「南無薬師如来」とあり、「癌かけこみ寺」と書かれた幟もある。3階には、紫地に白抜き文字で「潮干観世音」と書かれた幟がはためいていた。境内には地蔵菩薩の像があって、「南無延命地蔵菩薩」の幟もある。なんとも陽気に思えるお寺である。
 1階は寺務所で、上階は室内霊園の「四谷霊廟」である。観音堂は屋上にあり、社務所に寄って許しを得なければ上れない。門を入った右側に観音堂に通じる階段がある。入口の両脇には、狛犬さんが鎮座している。これまで、神社にあるものだとばかり思っていた狛犬さんが、お寺にもあった。私の知識も当てにはならぬ。
 屋上の鉄の扉を開けて観音堂の前に出た。幟がはためいていた賑々しい雰囲気から一転した落着いた空間である。本尊の「潮干十一面観音」は、江戸の昔から難病治療に霊験あらたかな仏様として信仰され、「癌かけこみ寺」として知られている。
 私の周辺には癌で苦しむ人達がいる。親しい友人であったり、行き付けの小料理屋で酒酌み交わす仲間であったり、亡妻の弟、つまり義弟であったりする。乳がんで妻を亡くし、弟は食道癌で逝った。癌と戦っている友人や、義弟の治癒を祈願し、逝ってしまった妻や弟の冥福を願った。般若心経を唱える声は湿りがちである。なんだか滅入ってきた。
 江戸名所図会の潮干観世音菩薩を記したところに、「・・・略・・・、この本尊は越後国村上義清が守仏にして、その末流村上兵部入道道楽斎、大阪御陣の時、上杉景勝に従ひ、奥州米沢よりかの地に赴く。後江戸に帰り、当寺に収むるといへり。・・・略・・・、本尊聖観音、作者詳(つまびらか)ならず。一尺ばかりの石の上に立たせ給ふ。この台石、潮の盈虚(みちひ)には必ず湿(ぬ)るゝとなり・・・」と、その名前の由来が書いてある。(カッコ内は私の注釈)。
 つまりは、真成院は今の麹町に開創され、日比谷の入り江に面していて、潮が満ちてくると、台座が水を被ったのだ。その後、江戸城外堀工事のため、寛永11年(1634)幕府から替地を与えられ四谷に移転してきたのである。
 雨が本降りになってきた。今日の参拝予定は、あと三カ寺。 (2011年10月10日 記)


 


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