第28番霊雲寺(れいうんじ)

      山号 宝林山(ほうりんざん)
      住所 文京区湯島2-21-6
      参詣 2012年4月9日
 
広い境内と見事な櫻
 

 広く見渡せる境内だ。白い花弁をつけた、オオシマサクラの巨木が目を引く。満開である。二人の学童が山門から入って来て、境内を斜めに抜け、裏門から出て行った。通学路の近道になっているようだ。
 縁起によると、創建は元禄4年(1691)で、徳川幕府の命により、覚彦浄厳(かくげんじょうごん)が、幕府の永代祈願所として創建したとのこと。土地3,500坪、金300両の寄進を受けて、江戸城の鬼門鎮めとして建立された、とある。覚彦浄厳が霊雲寺を開基するまでの歴史については『江戸名所図会』に詳しく書いてある。
 覚彦浄厳は、「河州錦部郡小西見村の産なり。寛永十六年己卯十一月二十三日に生まる。・・・略・・・、四歳にして普門品尊勝大陀羅尼を誦す。・・・略・・・、時に十歳、朝参暮詣倦む事なし。紀州亜相公(頼宣卿)一度見たまひて、深くこれを器なりとし真にこれ方外千里の駒なりとたまふ。遂に真言の諸流の秘奥を究む。」とある。河内の生まれで、その神童振りが書かれている。晩年に、江戸に下向し、時の権力者柳沢吉保の帰依をうけ、霊雲寺の建立に至ったそうだ。江戸名所図会には、其の経緯が次のように書かれている。
 「元禄四年大将軍(常憲公)召見し給い、普門品を講ぜしむ。雄弁泉の流るゝがごとく、聴く者欣然として善と称す。遂に城北にして地を賜ひ、梵利を経始す。こゝにおいて仏殿・僧房・香厨・門廓甍を連ね、巍然として一精藍となる。」 
 常憲公とは五代将軍綱吉のことで、一精藍とは大伽藍のことである。江戸名所図会には、その壮大な俯瞰図が描かれている。安政4年(1857)の大火、関東大震災や東京大空襲などで堂宇を焼失、現在の本堂は昭和51年(1976)に再建された。
 覚彦浄厳は、結縁灌頂と呼ばれる儀式をもって、熱心な布教活動を行った。目隠しをした人が、諸仏が書かれた曼荼羅の上に花を投げ、落ちた所の仏様と縁を結ぶという儀式である。仏を身近なものにして、信仰に入りやすくしたのだ。江戸名所図会に描かれた伽藍絵図の左上の方に、「灌頂の闇よりいでて桜哉 其角」と読める川柳が書かれている。古川柳に「目隠しは覚彦比丘が元祖なり」というのもあるそうだ。
 般若心経を唱え終えて、暫らくの間、咲き誇る櫻を本堂から俯瞰していた。(2012年5月3日)

 


第34番 三念寺←                 →第32番 圓満寺


東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その7端書きへ


烏森同人のtop頁へ