第50番大徳院(だいとくいん)

     山号 高野山(こうやさん)
     住所 墨田区両国2-7-13
     参詣 2011年11月21日
 
ビル1階の仮事務所

 
 日没は早い。夕暮れの下町は人通りが少ない。自分がどの辺りを歩いているのか、よく分らなくなった。一之橋を両国に向って渡り、凡そこの辺りではないのかと思い、右側を確認したら、あったのだ。そこは通りに面したビルの一階で、煌々と輝いていた。残業をしている会社の事務所かと思ってしまった。ビルの壁に大徳院と書かれた看板がへばりついていた。少し小さい字で、仮本堂3F・事務所1Fと書かれている。大徳院は本堂などが再建中のようだ。辺りは暗いし、時間も遅くなってしまったので、様子を伺うことが出来ない。通りの反対側に移って手を合わせ、お参りをした。この次、明るいうちにもう一度訪ねることにする。
 大徳院の縁起によると、総本山は文禄3年(1594)に徳川家菩提の祈願寺として高野山に開かれた高野山金剛閣大徳院であるという。弘法大師の大と徳川家の徳をとつて「大徳院」と名付けられたと記されている。まさに由緒の深い寺院である。
 大徳院のご本尊は薬師如来で、江戸期には、「本所一ツ目の寅薬師」といわれ、眼病治療に効き目があるということで信仰されていたそうだ。
 第73番東覚寺の項で触れたが、竪川にかかる橋で、隅田川にから数えて一番目の橋は、古くは一ツ目橋と呼ばれ、周辺の地名を本所一ツ目と呼んでいた。今も場所を示す名前で残っているのが、三之橋が架かっている三ツ目通りであり、四之橋が架かっている四ツ目通りである。
 寅薬師というのはあまり耳にしない薬師様だ。京都中京区に蛸薬師という地名がある。ややこしいけど、この蛸薬師町には通称蛸薬師と呼ばれる永福寺があって、寅薬師といわれる西光寺がある。河原町通りから程近い寺町にあるので、一度訪ねたことがある。狭い通路の奥で普通の民家の佇まいだから、地元商店で働く方に声をかけて道筋を尋ねなければ分らない場所である。
 なぜ薬師如来様に蛸があったり寅があったりするのかよく分らない。それぞれの土地の伝承によって固有の名前が付けられ、信仰の対象となった薬師様なのだろうと思う。
 今日もかなりの距離を歩いている。足が重くなり、親指の付け根が痛み始めてきた。
  (2012年1月14日 記)
 
 


第46番 弥勒寺←                 →第23番 薬研堀不動院

東京お遍路のtop頁へ

東京お遍路その4端書きへ


烏森同人のtop頁へ