愛宕山料亭「菜根」の悪夢  
愛宕山の料亭「菜根」
 

 ちょっと寄り道します。
 愛宕神社の境内に隣接し、まさかこんな処に、と思わせる場所に、料亭「菜根」がある。ここは、弱電メーカーに勤務していた時代、私にとって悪夢のビジネスがスタートした、思い出の場所である。  
 新商品の開発を手掛けた役員が、S社が特許を持つというカーボン面状発熱体なるものを持ち込んできた。この発熱体を利用して暖房カーペットの商品化を図ろうというのである。
 子供の頃、理科の実験で経験したことがある。エンピツの芯の両端に電池を繋ぎ、電流を流すと熱を持ってエンピツの芯は熱くなる。この原理だ。カーボンを均一に塗布した面状に電極をつけ、電流によって発熱する暖房カーペットの商品化、そして事業化を図ろうというものであった。
 S社は資金難に陥っている。S社の過去の業績や財務内容を調査するよう命じられた。調査報告書には、商品化を進めるには数億の資金が必要であるとの結論を出した。さらに、過去の業績からは、我が社以外にも、一部上場企業が介入しながら事業化に失敗して行った経緯が読み取れた。報告書には、その事実も詳細にまとめたつもりである。
 S社へ資金を援助し、業務提携することの是非について、役員会で審議された。技術系の役員からは、「オームの法則からして、カーボン面状発熱体の技術説明には理解できない。これは初歩的な課題であり、商品化は不可能である。」との意見が述べられた。しかし、取り上げられなかった。営業系役員の主張が勝り、S社との業務提携が可決された。
 後日、調査に携わった本人、つまり私が管理担当役員としてS社に派遣されたのである。社命を受け、正式に赴任した日、S社の幹部が集まり、歓迎の宴席を張ってくれた。その場所が、この愛宕山にある、料亭「菜根」であった。
 落着かない日々が続いた。調査段階から財務内容に多くの疑問を持っていたし、得体の知れない人物の出入りがあり、幹部社員から受ける雰囲気も、どこか暗い。
 多額な運転資金の移動が始まったことから、赴任した数日後、事前に連絡があって、取引銀行の支店長が尋ねてきた。そうして忠告して帰って行った。「S社の社長は、貴方に穴を掘らせて後ろから突き落とし、埋めてしまうような事を平気でする人だから、十分に気をつけられたがよい。」と、言ったのである。まさか信用を旨とする銀行の支店長から、S社長の姦計に注意しなさいという、忠告があろうとは思いもよらず、唖然としたものだ。調査の段階や、赴任してからの数日間で察しはついていた。むしろ、本社への報告手段を思い巡らして、苦慮していた。本社の担当役員は、私の報告を信じようとしない。
 カーボン面状発熱体の特許なるものを小道具にして、著名な企業を騙し、錯誤に陥らせる行為は、まさに稀代の詐欺師である。本社担当役員は、まさか己が稀代の詐欺師に関わっているなど、夢にも思っていない。S社が特許と称していたのは、電極部分を折れなくするための工夫であり実用新案の範疇だったのだ。
 カーボン面状発熱体を応用した暖房カーペットは製品化されたものの、技術的な欠陥から商品価値の無いものだった。出荷した商品は次々と返品されてきた。出荷前の製品は安い賃料の倉庫を探して、兵庫県の西脇や静岡県の三ケ日に分散して保管していた。このプロジェクトは多額の不良債権を残して完全に失敗に終わったのだ。後始末は企業のアウトローを自認していた私が着けるしかない。
 企業の恥部を市場に晒すことは出来ず、本社が被った損失は一挙に消去され、バランスシートからは、その痕跡が消された。一方で、神経をすり減らした日々を重ね、憔悴している私への慰労を、口に出す役員はいなかった。企業の冷酷さを感じたものだ。しかし、明らかに私を評価する目が変ってきた。その後、全国販売網の統廃合という困難なプロジェクトを任されることになった。
 愛宕山は、私にとって稀代の詐欺師に関わり、悪夢のビジネスがスタートした場所である。
                                                  (2011年7月28日 記)
 



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