第49番多宝院(たほういん)

      山号 宝塔山(ほうとうさん)
      住所 台東区谷中6-2-35
      参詣 2012年2月27日
 
入母屋造りの本堂

 
 谷中霊園事務所の手前、Y字路交差点の左側にある。門前に第49番札所の標石があった。境内に入ると大きな地蔵様が立っていて、その脇に赤い涎掛けをつけた六地蔵が並んでいる。入母屋作りの本堂手前に、「立原道造の墓」と書かれ、赤い矢印で方向を示しめした看板があった。昭和初期に活動し、24歳で急逝した抒情詩人のお墓である。
 縁起によると、慶長16年(1611)に神田北寺町、今の千代田区錦町に創建されて、慶安元年(1648)に現在地に移ってきたとのこと、先の自性院と同じである。本尊の多宝如来像は奈良時代の行基菩薩の作と伝えられ、多宝院の号は、この本尊に由来するものだろう。一般的には馴染みの薄い「多宝如来」が、ご本尊様に祀られていると云うのは珍しい。因みに、四国八十八個所霊場で調べてみたが、ご本尊に多宝如来様はいらっしゃらなかった。
 多宝院には、台東区が文化財に指定した「御府内八十八ヶ所大意版木」が保存されているそうだ。勿論、一介の参拝者がお目にかかることは出来ない。「八十八ヶ所大意」とは、文化13年(1816)に多宝院が中心となって作り上げた、詳細な御府内八十八箇所霊場の案内書なのだそうだ。そこには、八十八箇所巡りの功徳や留意点などが書かれ、それぞれの寺院の所在地、ご詠歌、ご本尊などが紹介されているという。
 十返舎一九が、『金草鞋』シリーズで文政4年(1821)に出版した四国お遍路の巻が好評であったことから、翌年の文政5年(1822)に、『東都大師巡八十八箇所』を刊行している。「八十八ヶ所大意」が完成した6年後のことである。十返舎一九は、この「八十八ヶ所大意」を手元に置いて東都大師巡りを書いたんだろうなぁ、と勝手に想像している。この頃、御府内八十八箇所を巡ることが江戸庶民の間でブームになっていたのだ。
 般若心経を唱え終えて、本堂の左手に赤い幟が並んだ「谷中吉祥天」の祠にもお参りした。立原道造のお墓にお参りし、画家で文化功労者の小糸源太郎のお墓にもお参りした。 (2012年3月11日 記)

 


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