東京お遍路 その9 城西界隈。


歩いた日は、2012年7月2日。
お参りした寺院は、第76番金剛院、第36番薬王院、第85番観音寺、第24番最勝寺、第12番宝仙寺、第11番荘厳寺、第58番光徳院、第71番梅照院、第48番禅定院、第41蜜蔵院、第2番東福院、第15番南蔵院、第14番福蔵院の13寺院。

 山手線の目白駅を出発して、目白通りを西に向かって歩き、途中から住宅街に入って行った。高級住宅が並ぶ閑静な街である。霧雨模様だが、天気予報では終日曇りとのことだったので、雨具は用意していない。この季節、歩くには曇り空のほうが良いのだが、30分ほど歩いて金剛院に着いた頃には晴れ間が見えてきた。
 聖母坂を下った。聖母病院があり、聖母坂の名称を付けたマンションがある。坂の途中、民家の塀際に聖母の像があったが、説明の表示があるわけでもなく、此の屋の主が置いたものだろうと思う。坂の地名が先にあったのか、病院名が先なのか、地名の由来が気になったが、説明標識が見当たらず、疑問のままに終わってしまった。
 神田川沿いの遊歩道を歩いた。1970年代に一世を風靡したフォークグループ、かぐや姫の楽曲で有名になった、あの神田川である。両岸はコンクリートで固められ、遊歩道が整備されている。高度経済成長の時代には、生活排水が流れ込み、水質が極端に悪化して、「死の川」とも呼ばれた川だ。神田川西側の広大な敷地に、下水道局の落合処理場が造られ、鯉や鮒、鮎までもが生息する綺麗な川に変身している。桜の季節には多くの見物客が訪れるというが、この季節、緑は豊かだが、人気のない静かな遊歩道が続いていた。
 山手通りを幡ヶ谷に向かって南下する。左手に、西新宿の高層ビル群を眺める。第11番の荘厳寺、幡ヶ谷不動にお参りしたら、こんどは、山手通りを北に向かって引き返すことになる。一筆書きの行程に拘っていると、こう云う無駄な距離を歩くことになるが、これも修行だ。やむを得ぬ。
 東中野ギンザ通りを歩いた。昔懐かしい商店街だが、あまり活気がない。午後の閑散とした時間帯だったからかもしれない。
 練馬区に入ったら、気のせいか緑が多くなる。広い屋敷の中に、樹木が生い茂っているし、家庭菜園や畑が目につく。再び、中野区に入り、今日の行程は第14番福蔵院で終わりになる。ところが、この日、第15番南蔵院に到着したのが、午後4時20分、閉門時間の4時を過ぎていた。また、最後に予定した第14番福蔵院に到着したのも閉門時間の5時を20分過ぎていた。後日、出直す羽目になってしまった。  福蔵院にお参り出来ないままに、脇にある鷺宮八幡神社にお参りした。神様も仏様も、拘りなくお参りしている自分が、何処か可笑しい。本殿の前に茅の輪があった。茅を束ねて大きな輪を造り、六月の晦日に神殿の前に置いて夏越しの大祓いが行われたのだ。この輪を、左回り、右回り、左回りの順で、「∞」の字を描くように3回潜り抜けて参拝すると、正月から半年間に背負った罪や穢れが祓われるそうだ。起源については、何でも素戔嗚尊(スサノオノミコト)のお告げにより、災厄が祓われたと云う古事によるものらしい。
 万歩計を見たら、歩き始めてからの数字が38,612になっていた。よくも歩いたもんだ。煩悩の塊りのような我が身である。歩く苦行によって、幾ばくかでも滅罰されるのだろうか・・・、うん、それは無いな。