東京お遍路 その2 麻布から青山、信濃町、四谷まで。 歩いた日は、2011年9月20日。 夏の暑い日を避けたので、第2回目の東京お遍路は9月になってしまった。台風15号が首都圏を襲い、交通機関が乱れ、通勤客の足を奪い混乱した日の前日である。9月に入っても続いていた残暑の厳しさから開放され、台風前の曇天は歩くのに好都合であった。前回歩き終えた六本木の6番不動院に立ち寄った。出来るだけ連続して歩きたいという拘りからである。 地名に麻布と名の付く町名は数多くあって、その広がりは大きい。東麻布、西麻布、南麻布、元麻布、麻布台、それに麻布十番、麻布永坂町、麻布狸穴町である。前回、ハンディタイプの簡単な地図しか持たなかったので、寺院の場所を探すのに苦労した。その反省から、今回は詳細な道路地図から必要な頁をコピーにとり、さらに寺院の所番地をメモにとって胸のポケットに終った。用意万端かと思いきや、またまた失敗してしまった。麻布の地名を読み違えたのである。5番延命院は南麻布である。27番正光院は元麻布である。その距離は近いのだが正光院には一向に辿り着かない。つまりは、町名を読み誤り、元麻布にある正光院を南麻布で探していたのだ。 付近には、イラン、フランス、ドイツ、ノルウェー、中国など、各国の大使館が集中している。横道に迷い込み、中国大使館の塀に沿って行ったり来たりしていたら、警備のお巡りさんに不審な目で見つめられた。 六本木ヒルズが霧に霞んでいた。六本木トンネルを抜けて青山墓地を左に見ながら、信濃町に向って歩く。今にも雨が降りそうな気配だが、なんとか守っている。 左門町の交差点を右折した。大通りから裏道に入ると、方向感覚が麻痺してくる。都市計画から取り遺された古い家並みが、そのまま残っていて、道路が地形に沿って自然に方向を転じているからだ。都市計画から取り残された町は、現代的な住環境としては不十分かもしれない。しかし、計画的に形成された郊外のニュータウンと異なり、住民の年齢構成や所得階層が多様であり、しかも、何代も続く家族が住み、町が存続していく条件がそろっている。ニュータウンは、いまや急速に高齢化が進み、若年層の減少に伴って、街の中心に造られた商店街には、シャッターを閉じたままの店舗が目立つようになっている。 四谷駅に程近い若二(若葉二丁目)商店街は、古くからの商店街だ。大型の商業施設に押され、活気には乏しいが、いまでも地元に根付いた商店街として、往年の面影を残している。第39番真成院、第83番蓮乗院、第18番愛染院、第21番東福院は、この懐かしい裏町商店街の右側高台に点在する。 |
その2の目次 第5番延命院 第27番正光院 第44番顕性院 第39番真成院 第21番東福院 第18番愛染院 第83番蓮乗院 ちょっと寄り道。 於岩稲荷田宮神社と四谷怪談 東京お遍路のtop頁へ その1端書きへ その3端書きへ 烏森同人のtop頁へ |